半坪ビオトープの日記

建長寺、仏殿


建長寺は建長5年(1253)の創建で、開基は鎌倉幕府第5代執権北条時頼である。開山は宋より渡来した禅僧蘭渓道隆で、その後も2世、3世、4世、5世の無学祖元と、中国からの渡来僧が室町時代初期まで続いた。
三門の右手脇に大きな梵鐘のかかる鐘楼がある。

建長7年(1255)に大旦那を北条時頼、開山蘭渓道隆が撰文し筆をとり、鋳物師を物部重光として造られた。「巨福山建長禅寺」の鐘銘を含む文字は浮き彫りで、撞座の位置が高いなど平安時代後期にならった復古調な作風が特徴である。高さは208.8cm、重さ2.7トン。国宝に指定されている。

鐘楼の左奥に嵩山門(すうざんもん)がある。その先は修行道場のため立ち入り禁止だが、中には開山の塔頭西来庵や昭堂、開山堂などがある。

三門と仏殿の間にある柏槙(ビャクシン)の古木は中国産であり、開山蘭渓道隆の御手植えと伝えるもので樹齢750年といわれる。

仏殿は、東京芝の増上寺の徳川2代将軍秀忠室崇源院(お江)の霊屋を正保4年(1647)に移築したもので、寛永5年(1628)建立の方5間、重層の寄棟造である。

仏殿中央に安置されている本尊の地蔵菩薩座像は、室町期の寄木造で、座高2.4m、台座をいれると4.8mの巨像である。禅宗で本尊が地蔵菩薩は珍しいが、建長寺造立以前からこの地にあった地蔵信仰に基づくものと考えられている。

仏殿内部は本格的な漆塗りに仕上げ、天井や壁画には極彩色の花鳥図が描かれ、欄間彫刻、透し彫りの金具など桃山風の作風を伝える江戸初期の華麗な装飾がみられる。
また祖師像、5躯の伽藍神、旧心平寺の本尊といわれる地蔵菩薩座像もまつられ、脇壇には室町期から江戸期にかけてつくられた千体地蔵の一部が安置されている。