半坪ビオトープの日記

楞巌寺


笠間駅の西北約6kmほどの辺りに仏頂山(431m)があり、その麓に楞巌寺(りょうごんじ)がある。寺の裏山と片庭の八幡神社広葉樹林は、日本北限のヒメハルゼミの発生地であり、片庭の大蝉として知られ、国の天然記念物に指定されている。

丘を越えて田んぼの中の道を進むと、どういうわけか山門のみ離れて田園風景の中に楞巌寺山門がある。現在の山門は、室町時代中期に建てられた切妻造茅葺の四脚門で、当寺の禅宗様式を伝えるものとして国の重文に指定されている。

楞巌寺は、当初律宗の寺院として宗の千岩が開山したのが始まりと伝えられている。一時荒廃したが、室町時代に笠間家初代時朝が鎌倉建長寺の住職大拙を招いて中興開山し歴代笠間家の菩提寺とした。鬱蒼とした森の中の苔むした石段を上り詰めると中門が見える。

中門をくぐって振り返ると、苔むした道には踏み跡も残っていないほど滅多に人が訪れていないことが分かる。

旧本堂らしい古ぼけた大きなお堂の手前左手に地蔵堂であろうか、寂れた小さな堂宇が建っていた。

楞巌寺本尊の木造千手観音立像は、建長4年(1252)に笠間時朝が寄進したもので、檜材の寄木造、玉眼嵌入、像高208cm、歴史的背景や容姿などから笠間六体仏の一つに数えられ、国の重文に指定されていて、小さな宝物殿に厳重に保管されている。事前に拝観の予約を申し入れていたので鍵を開けて見せてもらったが、真手、宝鉢手外四十臂、条帛を懸け、裳を着け両足を揃えて立っている姿は、しばし見とれてしまうほど精巧に造られていた。
笠間時朝は、京都蓮華王院(三十三間堂)の千体仏の中の2体や、山形県寒河江慈恩寺大日如来座像などを寄進するほか、地元にも仏像をいくつか寄進している。鹿島神宮には一切経を奉納している。また、歌人としても知られ、藤原定家ら当時一流の歌人達と交流し、多くの和歌を残している。
家集「前長門守時朝入京田舎打聞集」から一首を選ぶと、
「筑波嶺の山のをのへも霞みつつ春はあづまに立ちはじめけり」

境内の奥に本堂が建っている。正式には、臨済宗妙心寺派仏頂山楞巌寺という。境内には笠間市累代の墓所があるということだが、残念ながら見逃してしまった。