半坪ビオトープの日記

長勝寺、本堂


香取市佐原から鹿島市鹿島神宮へ行く途中で、茨城県潮来市に寄る。潮来大橋の近くに長勝寺がある。海雲山長勝寺は、臨済宗妙心寺派である。老杉林立する稲荷山を背景にした境内は、山門をくぐってからも参道が長く続いている。

この楼門は、普門院にて元禄13年(1700)に建立されたものを、光圀の命令でそのまま長勝寺に移築したものである。3間1戸の二層門で、入母屋造杮葺風銅板葺の禅宗様建築である。

長勝寺は、文治元年(1185)源頼朝が、鎌倉入りを前に武運長久を祈願して創建した。頼朝は、武運長久の願いを叶える近くの鹿島神宮にも土地を寄進するなど手厚く保護している。
元禄年間(1688-1704)には徳川光圀が寺の荒廃を惜しみ修復を行い、太嶽和尚を招いて中興開山している。その後、徳川幕府から朱印十石と寺領地を与えられている。
3間四面裳階付入母屋造茅葺唐様の本堂(仏殿)は、室町時代に建てられたものという。

本尊は、阿弥陀三尊仏である。
本堂の棟上には、源氏の定紋である「笹りんどう」の紋が配されている。

本堂右手には、芭蕉の句碑・時雨塚が立つ。寛政元年(1789)の建立である。
「旅人と我名よばれむはつしぐれ」芭蕉

時雨塚の右手にある中朱門(ちゅうじゃくもん)の中の庫裏・書院等も元禄時代の建物で、水戸家ゆかりの宝物等多くの文化財を収蔵している。

本堂に向って右手前には、鐘楼堂が建っている。寺宝第一とされ、国の重文に指定されている銅鐘には、「客船夜泊常陸蘇城」と記された銘文がある。この銅鐘は、元徳2年(1330)に鎌倉幕府の執権・北条高時が頼朝を弔うために寄進した。銅銘は、当時最高の禅僧といわれた、中国から来朝した清拙禅師が筆をとり、中国蘇州を彷彿とさせる水郷潮来の景観を見事に伝えている。

勢至堂には勢至菩薩を安置している。