半坪ビオトープの日記

妙成寺、丈六堂


広い境内は時計回りに見ていくのだが、一番奥のさらに右手奥に、釈迦堂が建っている。妙成寺19世の日遼が造営したとされる。桁行3間、梁間4間、重層の入母屋造で、貞享3年(1686)の建立である。昭和56 年に解体修理が完成。寄棟造を重層入母屋造に、桟瓦葺を杮葺とし、建立当時の姿に復元した。

一丈六尺(約4.8m)の立像の釈迦牟尼仏を奉安するので、一般に丈六堂とも呼ばれる。堂下には格天井を張り、中央間は吹き抜けとなって竿縁天井となる。向かって右に持国天像が、左には毘沙門天像が睨みを利かせている。

大きな釈迦牟尼仏は、中正院日護聖人作と伝える。

丈六堂の右側に小さな閻魔堂が建っている。

中にはそれほど怖そうではない、可愛らしい閻魔大王が座っている。

丈六堂に通ずる参道の両脇には、古びた自然石の墓石が多数あり、ほかにも上部が崩壊した多層石塔がいくつもあった。

丈六堂に通ずる参道の手前を右に下ると、左手に三光堂が建っている。桁行5間、梁間5間、入母屋造平入り杮葺の建物で、祖師堂より一回り小さいものの酷似していて、祖師堂より一年早い元和9年(1623)の建立と伝えられている。屋根大棟両端の鬼瓦は石造りで、地方色をよく残している。国の重文に指定されている。

堂内に日天・月天・明星天の三光天像を安置し、天下太平・五穀豊穣と加賀藩主前田家の武運長久の祈願が行われてきた。別名は鎮守堂ともいう。

三光堂の右隣に本堂及び祖師堂が並んで建っているのだが、三光堂と本堂に相対して、三十番神堂とその手前に三十番神堂拝殿が建っている。奥の三十番神堂は、3間社流造、正面軒唐破風付杮葺の神社建築で、慶長19年の建立である。3間待ち放しの向拝にもかかわらず、柱・虹梁が細く繊細で、国の重文に指定されている。内陣に日蓮宗と密接に関連する三十番神を祀る。手前の拝殿は、桁行3間、梁間2間、入母屋造、正背面に軒唐破風付杮葺で、随所に唐様式を取り入れている。