半坪ビオトープの日記

妙成寺、本堂


妙成寺は数多く寺宝を持つことでも知られるが、中でも永禄11年(1568)七尾出身である長谷川等伯筆の絹本着色釈迦涅槃図が特筆される。毎年の涅槃会の際に本堂正面に飾られる。
本堂は、桁行5間、梁間5間、入母屋造平入杮葺で、正面に1間の向拝を付ける。基礎は亀腹を築き、野面石の上に柱を立てる。向拝柱2本は大面取角柱だが、ほかは全て円柱で、頭部は粽とし、頭貫を通して台輪をのせる。慶長19年(1614)3代藩主前田利常の帰依により、前田家御用大工坂上又三郎を棟梁として建立された。国の重文に指定されている。

内部は、内外陣に別れ、境には蔀戸を吊り込み、その上に吹寄菱格子の欄間を入れる。外陣天井は外側を化粧屋根裏とし、内側に鏡天井を張る。内陣には禅宗様の須弥壇を設けている。寺号額「妙成寺」は、仁王門と同じく、加賀出身の書家・佐々木志津磨の揮毫である。

本尊は、一塔両尊(釈迦・多宝如来)・四天王・四菩薩を祀る。

本堂の右隣に建つ祖師堂は、桁行5間、梁間5間、入母屋造平入杮葺の建物で、寛永元年(1624)の建立である。工匠は大工宗心との墨書があるが、詳細は不明である。しかし、建仁寺流の坂上一統の手になる建物で、唐様を主調とした妙成寺建築物中出色のものとされ、国の重文に指定されている。

内部は正面1間通りを外陣、両側面1間通りを脇間とし、中央部正面3間、側面4間に円柱を建てて内陣とし、後方に須弥壇を作り禅宗様(唐様)の厨子を置く。内法貫の間の天人の欄間の意匠は優れている。中正院日護聖人作といわれる宗祖日蓮上人の座像の左右に、開山日像の師の日朗と開山日像の座像を安置する。

本堂と祖師堂、祖師堂と客殿から書院と廻廊で繋がっているが、書院と祖師堂の間に庭園がある。山畔を利用した江戸時代前期の蓬莱式池泉鑑賞庭園で、五重塔も彼方に眺められる。

書院は、万治2年(1659)綱紀の代に建立で、国の重文に指定されている。前田家代々の菩提と利常生母寿福院殿、息女浩妙院殿の冥福を祈るための御霊屋を営んで、併せて参拝の時の御座所として建てられた。桁行7間、梁間7間、平屋建寄棟造杮葺きで、石鬼・石棟を置く。

書院と廻廊で結ばれている客殿は、元和2年(1616)の建立である。

庫裡は、文禄2年(1593)の建立で、妙成寺最古の建築であり、国の重文に指定されている。前田家外護以前に存在していた。桁行9間、梁間5間、平屋建切妻造妻入桟瓦葺で、昭和42年に復元解体修理工事が行われ、ほぼ原形に復元された。当地の大工の手になり、地方的特色が濃く、長押、鴨居等の技法に時代的古色を表している。