半坪ビオトープの日記

伊能忠敬旧宅


佐原駅の南東の小野川沿いに佐原の歴史的町並みエリアがあり、そこに伊能忠敬の旧宅と記念館がある。伊能忠敬は、19世紀の初め、50歳を過ぎてから、日本全国を測量して歩き、我が国最初の実測日本地図を作り上げた。佐原の人々は忠敬のことを親しみを込めて「ちゅうけい」と呼ぶそうだ。その忠敬の業績と生涯を展示する記念館が、平成10 年に開館した。

場所は忠敬の旧宅の対岸、楫取魚彦の旧宅地に建てられた。記念館の右手にその碑がある。
楫取魚彦は、忠敬より一世代前の同族で、賀茂真淵の高弟であった国学者である。

記念館には、「大日本沿海輿地全図」(伊能図)の大図・中図・小図のほか、測量機器・測量日記・洋学書籍・書簡などの伊能忠敬関係資料(国宝)が収蔵・展示されている。
伊能忠敬は、佐原で代々名主を務める伊能家10代目当主として17歳で婿養子となり、50歳で隠居するまで酒造業などで活躍し財を増やした。隠居後勘解由と名乗り江戸に出て、寛政12年(1800、55歳)から文化13年(1816、71歳)まで日本中を10回にわたり測量した。忠敬は、近年、退職後のライフワークの先達として注目されているが、スケールが大きく隠居前から勉学に勤しんだ本格的な学者であることが分かる。

記念館と旧宅との間を流れる小野川には、樋橋(とよはし)が架かっている。小野川舟巡りの乗り場でもある。旧宅は、現在改修中である。

元禄年間(1688-1704)に佐原村を貫通した用水の樋を通したために名付けられた橋で、平成4年に再建された。

風情を醸し出すためか、樋橋からは水が溢れ出て小野川に落ちる。とよはしの両岸には、昔ながらの町並みが再現されている。

対岸の旧宅の母屋は、江戸時代の平屋の商家造りで、格子戸を持つ広い土間の店先や背後の釜場、その裏に書院、土蔵などがあるのだが、現在、改修中なのでよく見ることはできない。

旧宅内には、家訓書の碑もある。寛政3年46歳の時のもので、「第一 仮にも偽をせず、孝悌忠信にして正直なるべし」など3項目ある。