半坪ビオトープの日記

妻沼聖天山、貴惣門


熊谷市の最北部鬼怒川の近くに妻沼聖天山がある。今年7月に国宝に指定された本殿については、後に詳しく紹介するが、総門である「貴惣門」も国の重文に指定されている。

寛保2年(1742)幕命で、利根川大洪水の復旧工事に妻沼を訪ねた周防国岩国吉川藩の作事棟梁長谷川重右衛門に聖天堂の大工棟梁林正清が設計を依頼したもので、約百年後の嘉永4年(1851)正清の子孫林正道が棟梁となり完成した。高さ18mの雄大な八脚門で、側面(妻側)に破風を三つ重ねた奇抜な意匠に特徴がある。全国に4例だけ、関東で唯一の建物であるという。他の貴惣門は、四天王寺東大門(大阪市)、豊楽寺仁王門(岡山市)、誓願寺山門(弘前市)であり、誓願寺山門だけ妻入りである。

総檜造の精緻な造りに、多様な技法の彫刻で要所を飾るなど、江戸末期の造形芸術の粋が発揮されている上、主要部材に寄進の名を残すなど郷民信仰の証を伝える貴重な建造物とされる。

参道を進むと右側に齋藤別当実盛像がある。寺伝では、治承3年(1179)長井庄(妻沼)を本拠とした武将齋藤別当実盛が、守り本尊の大聖歓喜天(聖天)を祀る聖天宮を建立し、長井庄の総鎮守としたのが開基とされている。その後、建久8年(1197)良応僧都(実盛の次男実長)が聖天宮別当寺院(本坊)として歓喜院長楽寺を建立し、十一面観音を本尊としたという。

その先右側に、真言密教護摩供を奉修する護摩堂がある。不動尊を本尊とし、白衣観音役行者神変大菩薩を祀っている。

護摩堂の先に四脚門の中門がある。江戸時代初期の火災の際、唯一焼けずに残った聖天山最古の建造物である。木鼻及び側面破風にある懸魚の模様など室町時代の特徴をよく残している。地元では甚五郎門と称している。平成2年の解体修理で屋根を銅板葺きとした。