半坪ビオトープの日記

早池峰神社

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早池峰山
最終日は早池峰山1917m)を計画していたが、体調と時間の都合で断念し、早池峰神社などを見るだけにした。左手の河原の坊コースは、大雨による崩落で5年前から通行禁止となっていた。

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早池峰神社の随神門
大迫町にある早池峰神社は、由緒によると大同2年(807)田中兵部、始閣藤蔵の両名が山頂に姫大神を祀ったことに始まるという。昔は仁王門だったと見えるが、これが随神門。入母屋造の単層門。屋根は鉄板葺で、五間一戸、十二脚。扁額は「早池峰山」と見える。

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早池峰神社

早池峰神社は、祭神として瀬織津比売神を祀る。正安2年(1300)越後の阿闍梨円性が早池峰大権現を祀って一寺を建立し、池上院妙泉寺と名付けた。中世には二度の火災で多くの堂宇や記録が失われた。神仏混交の時代には新山堂と呼ばれ、この地が天正19年(1591)に南部氏の領地になると、早池峰山盛岡藩の東の鎮山として重く位置づけられ、早池峰大権現を祀る別当寺として妙泉寺は復興された。慶長15年(1610)から3年間に新山堂、薬師堂、本宮、舞殿、鳥居、客殿など六社が建立され、歴代藩主によって手厚く保護されてきた。しかし、明治維新神仏分離令により、妙泉寺は廃寺となり、新山堂が仏教色を排して早池峰神社となった。狛犬は関西に多い、浪花狛犬である。

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入口の扁額

拝殿入口の扁額に書かれているのは早池峰神社ではなく、「早池峰山」と読める。

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拝殿内部
現在の拝殿は、外陣と内陣に分かれ、奥行き五間のうち前面二間が外陣、後面三間が内陣。慶長17年(1612)に紀州の大工・新右衛門、秋田の箱匠・久次郎・右衛門により建立された。岩手県内唯一の現存建物で、その後2回修復の手が入っているが、内陣柱を中心とした軸組や、木鼻の手法、拝殿軒周りの装飾等にも、江戸初期の堅実で力強い建築手法が随所に見られる。

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破風の懸魚や妻壁の妻飾り
破風の懸魚や妻壁の妻飾りも虹梁の上下の架構も簡素ながらも装飾が施されて力強い。

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幣殿の奥に本殿
拝殿の奥には幣殿があり、本殿は幣殿の奥に繋がっている。

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白龍社
拝殿左手奥に境内社の白龍社がある。円空仏のレプリカらしきものも祀られている。

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大権現社

拝殿左手奥のこちらの境内社には、「大権現社」の扁額が掲げられている。

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稲荷神社
拝殿左手奥のこちらの境内社は、稲荷神社。

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白髭大明神
拝殿手前左側の境内社には、「白髭大明神」の扁額が掲げられている。

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境内社
境内社はいくつもあるが、詳細は不明である。狛犬は関西に多い、浪花狛犬である。

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天然記念物のしだれ桂
随神門の右手前に国の天然記念物に指定されている「しだれ桂」がある。岩手県には世界的にも例のない、枝葉の垂れ下がった「南部しだれ桂」という珍木がある。大木は盛岡市などにあり、現在では三本が国の天然記念物である。このしだれ桂は、元は岳の妙泉寺の境内にただ一本生育していたものだった。それが見事に大木となったが、寺の普請のために切られてしまった。しかし、その株から出た新梢は、各地の寺院などに分けられ、後に国の天然記念物に指定された南部しだれ桂の原木になったという。

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参集殿と神楽殿
その右手に参集殿の建物があり、さらにその右手前に神楽殿(舞殿)が建っている。

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岳妙泉寺跡
そして随神門を背にして右手下(北側)にある空き地が、岳妙泉寺跡である。妙泉寺は真言密教の寺院であり、正安2年(1300)(あるいは正中2年(1325)ともいう)越後の阿闍梨円性が早池峰大権現を祀って一寺を建立し、池上院妙泉寺を開創したと伝えられる。慶長年間に盛岡藩により新山堂・薬師堂などの堂宇が建立され、築地塀や櫓門などの要害普請もなされた。さらに盛岡城下に二万八千坪もの広大な面積の宿寺を賜るなど大いに繁栄した。しかし、明治維新廃仏毀釈で廃寺となり、庫裡と客殿内に祀られていた僅かの仏像を残して破壊された。