大迫町にある早池峰神社は、由緒によると大同2年(807)田中兵部、始閣藤蔵の両名が山頂に姫大神を祀ったことに始まるという。昔は仁王門だったと見えるが、これが随神門。入母屋造の単層門。屋根は鉄板葺で、五間一戸、十二脚。扁額は「早池峰山」と見える。
早池峰神社は、祭神として瀬織津比売神を祀る。正安2年(1300)越後の阿闍梨円性が早池峰大権現を祀って一寺を建立し、池上院妙泉寺と名付けた。中世には二度の火災で多くの堂宇や記録が失われた。神仏混交の時代には新山堂と呼ばれ、この地が天正19年(1591)に南部氏の領地になると、早池峰山は盛岡藩の東の鎮山として重く位置づけられ、早池峰大権現を祀る別当寺として妙泉寺は復興された。慶長15年(1610)から3年間に新山堂、薬師堂、本宮、舞殿、鳥居、客殿など六社が建立され、歴代藩主によって手厚く保護されてきた。しかし、明治維新の神仏分離令により、妙泉寺は廃寺となり、新山堂が仏教色を排して早池峰神社となった。狛犬は関西に多い、浪花狛犬である。
拝殿入口の扁額に書かれているのは早池峰神社ではなく、「早池峰山」と読める。
現在の拝殿は、外陣と内陣に分かれ、奥行き五間のうち前面二間が外陣、後面三間が内陣。慶長17年(1612)に紀州の大工・新右衛門、秋田の箱匠・久次郎・右衛門により建立された。岩手県内唯一の現存建物で、その後2回修復の手が入っているが、内陣柱を中心とした軸組や、木鼻の手法、拝殿軒周りの装飾等にも、江戸初期の堅実で力強い建築手法が随所に見られる。
拝殿の奥には幣殿があり、本殿は幣殿の奥に繋がっている。
拝殿左手奥のこちらの境内社には、「大権現社」の扁額が掲げられている。
拝殿左手奥のこちらの境内社は、稲荷神社。