半坪ビオトープの日記

妻沼聖天山、拝殿


重厚な仁王門は、万治元年(1658)建立と伝えられるが、明治24年の台風で倒壊し、同27年に再建された。
左右の金剛力士は当時のままで、室町時代の気風を残している。昭和57年に屋根を改修している。

右のこの阿形も、左の吽形も、つい最近修復された。

仁王門をくぐって左手には太子堂があり、弘法大師を祀っている。正式には弘法大師太子堂といい、平成7年に立て替えられている。

中をのぞくと左に、大きな数珠が吊り下げられていた。願供養念珠といって、願をかけながら引っ張るとぐるぐる回り、数珠が落ちてバチバチと大きな音を立てる。

太子堂と本殿との間に、茶色の屋根のある土俵がある。春秋の例大祭の奉納相撲で使われる。

石舞台は、庭儀法会を行うための舞台であるという。ここでは記念写真を撮ることが許されていた。
聖天堂本堂の拝殿も豪壮な建物である。正面唐破風下の琴棋書画や龍の彫刻も色鮮やかである。

琴棋書画は左から、「絵を見る子ども」「碁を打つ人々」「琴を弾く男」「文字を読み書きする子ども」と温和な表情で描かれている。
聖天堂は本殿や貴惣門等の建造物のほか、いくつか貴重な文化財を有している。国指定重文としては、御正躰錫杖頭がある。寺伝によると建久8年(1197)齋藤別当実盛の外甥の宮道国平が実盛の二人の孫と共に寄進した聖天堂の本尊であり、秘仏とされている。