半坪ビオトープの日記

大山寺、本堂


二日目に泊まった鳥取県米子市皆生温泉は、日本海に面した温泉なのだが、残念ながら宿からは海が見えなかった。朝から伯耆大山に向う。
出雲国風土記』に「火神岳(ひのかみのたけ)」と呼ばれた神話の昔から、西伯耆に聳える大山(1729m)は、この上ない霊峰である。主峰弥山(みせん1709m)を中心に、明治期までは千古の樹林に囲まれた秘境であった。
現在は大山隠岐国立公園の中心となり、米子市内から一直線に大山寺博労座駐車場まで車で行ける。

標高750mの駐車場から旅館や土産物店などが並ぶ参道を登り始めると、右手彼方に大山の稜線が見えてくる。

参道の右手には近年完成した「大山火の神岳温泉足湯」があり、大山を眺めながら休息できる。今年中に温泉施設もできるそうだ。

参道の旅館がなくなる頃、右手に宝物館霊峰閣がある。時間があればゆっくり観てみたいのだが、先を急いだ。

行く手には山門が見えるのだが、その手前右側に「信濃坊源盛の碑」が玉垣に囲まれて建っている。大山寺は、室町時代には多くの僧兵を抱えていた。元弘の役で名和長年後醍醐天皇を奉ずると、弟で大山寺の別当であった信濃坊源盛は、一山の僧兵を引き連れて兄長年を助け、後九州に下り八代で戦死したという。

左に大神山神社奥宮への参道が分かれ、苔むした明神鳥居が建っている。この石造明神鳥居は、文政3年(1820)建造で、国の重文に指定されている。大神山神社へは大山寺の裏から抜けていくので、ここではまっすぐ石段を上り大山寺山門に向う。

大山寺山門は、平成12年落成と新しい。明治の神仏分離で壊滅した大山寺は山門を持っていなかった。今の本堂は大山寺を構成していた中門院の大日堂にすぎないので、特別に山門があったというわけではないらしい。山門ができて入山料受付も兼ねている。

山門をくぐると石段の右手に護摩堂が建っている。

天台密教による護摩供を行う御堂であり、本尊は不動明王である。
護摩堂の向いには大山寺本坊、「下山観音堂」があるのだが、「大山寺法務所」の看板を見て寺務所と思い、写真を取り損ねてしまった。

天台宗別格本山角磐山大山寺は、養老2年(718)出雲国の玉造だった金蓮上人により開かれ、地蔵菩薩を本尊として祀ったのが始まりとされる。貞観7年(860)天台宗4代座主慈覚大師により天台宗になったという。最盛期には百を超える僧坊を連ね、三千人の僧兵を擁する一大修行道場として、高野山金剛峯寺比叡山延暦寺と並ぶ大寺院となった。現在の本堂は、昭和26年に再建された

戦国時代には尼子氏、毛利氏、吉川氏、亀井氏など中国地方諸将の崇敬を集め、江戸時代には徳川幕府より三千石の地領を得てその法灯を伝えた。