半坪ビオトープの日記

下山神社


大神山神社奥宮の左奥に、末社の下山神社がある。元徳2年(1330)備中郡司渡邊日向守の子、照政が参拝の帰路奇禍に遭い不慮の最期を遂げたのを里の人々が憐れみ、大山下山の地に小祠を建て下山善神と呼んでいたが、数々の霊験があり、この地に奉還したといわれる。多くの武将の信仰があり、現在の社殿は、石州津和野の領主・亀井隠岐守矩貴が文化2年(1805)に再建した。神使は狐である。

拝殿・幣殿・本殿は、檜皮葺八棟権現造の複雑で華麗な屋根構造を持ち、国の重文に指定されている。下山大明神と呼ばれ、祭神として渡邊源五郎照政命を祀っている。

大神山神社奥宮の裏手、下山神社の右手に、境内社の弁財天社が建っている。寛政8年(1796)に奥宮社殿とともに焼失し平成10年に再建された。

弁財天社の本殿は、コンクリートの土台の上に高く祀り挙げられて造られている。主祭神として、多紀理毘売命・市寸嶋比売命・多岐都比売命を祀り、相殿に大山津見命を祀っている。

大神山神社奥宮拝殿の左右50mには翼廊がひろがり、拝殿の後ろも幣殿が長く本殿に続いている。

弁財天社の裏手の石垣には、サンインスミレサイシン(Viola vaginata var. satomii)が咲いていた。北陸地方以西、主に山陰地方に自生している。葉の先端がスミレサイシンよりさらに尖っている。

大神山神社奥宮社殿の右手には、またダイセンキスミレ(Viola brevistipulata var. minor)がたくさん咲いていた。大山だけでなく中国地方の日本海側の山地に自生し、中国地方で唯一の黄色のスミレである。大山寺とここの境内に集中しているのは、大山から移植したものと思われる。

帰り道の参道脇では、またもやキケマン(Corydalis heterocarpa var. japonica)の大株を見つけた。

大山寺の参道に合流する手前に、大きな「和合の岩」がある。割れた岩が和合しているのではなく、左の杉の老木と岩が和合しているという。

さらに合流点に近づくと、左側に石仏がいくつも並んでいる。一番左のお地蔵様は、「佐々木高綱等身地蔵」という。佐々木高綱は、宇治川の先陣争い以来の功により、建久4年(1193)山陰七カ国守護として赴任途中大病にかかったが、大山寺本尊・地蔵菩薩に祈ったところ全治したので等身の地蔵を寄進したと伝えられる。寛政8年(1796)焼失し、嘉永元年(1848)石で再建された。