半坪ビオトープの日記

女坂下る


大山寺から女坂を下って行くと、しっかりとした唐破風の玄関をもつ建物がある。すぐ下に宝珠山来迎院の本殿があるので、その客殿と思われる。

そのすぐ先には、宝珠山来迎院とその左に龍神堂が建っている。明治初年の神仏分離に伴い雨降山大山寺は廃され、現在の下社のある地から末寺来迎院に移り、山号宝珠山明王寺となったため、この来迎院を前不動とも呼び、前不動明王の扁額が掲げられている。来迎院は山内の僧達の菩提寺で茶湯寺と呼ばれ、大正4年に観音寺と合併して大山寺の旧号に復した。
倶利伽羅の扁額がかかる龍神堂は、元は二重滝にあり、寛永18年(1641)に再建され、徳川家光により寄進された。大山寺開山の良弁僧正が大山龍神を感得し、以後、八大竜王と呼び、大山の守護神にして雨乞いの本尊である。八大堂とも呼ばれる。

さらに下って行くと、女坂七丁目に爪切り地蔵がある。弘法大師が一夜のうちに爪で彫ったといわれる山中第一の磨崖仏である。

次に女坂の左側に子育て地蔵が祀られている。その面相が幼い子供の顔であることから、子供の健康な成育を守るという。

弘法の水は、「弘法の加持霊水」とも呼ばれ、弘法大師が岩に金剛杖をついたら、その跡から清水がこんこんと湧き出たという。女坂の七不思議の一つで、いつでも水の量が変わらないという。

どんどん下って行くと、だんだんモミジも少なくなってきた。

大山ケーブル駅に近づいた頃に、八意思兼神社が建っている。祭神は思兼神で、記紀神話高皇産霊神の子である。男坂と女坂の分かれ目なので、追分社とも呼ばれる。

八意思兼神社を過ぎて間もなく、道端に冬桜が咲いていた。花見と紅葉狩りが一緒に楽しめるとは幸運である。

やがてケーブル駅の脇から石段のこま参道を過ぎて、バス道路をずんずん下っていく。この辺りはようやく紅葉が始まったばかりである。

宿坊が立ち並ぶところまで歩いて、予約していた豆腐料理旅館・東学坊に入った。ここでゆったりとお風呂に浸かって、豆腐料理を楽しみ、向かいの店でお土産を買い求めて帰途に着いた。