半坪ビオトープの日記

大山寺、金門


明治の廃仏毀釈により大山寺号は廃絶となり、当寺の十三堂塔三院谷四十二坊も急激に衰退し、建物も取り壊され、今は四つの参拝堂と十の支院を残すのみとなっている。本堂の右奥には鐘楼堂が建ち、鎌倉時代の作といわれる「開運鐘」が架けられている。

本堂の右手には、牛の銅像「宝牛」が奉納されている。

本堂の右手前辺りに、大山周辺特産のダイセンキスミレ(Viola brevistipulata var. minor)がたくさん咲いていた。5月上旬で、満開だった。

オオバキスミレの地方変種で、花が小さく葉は濃い緑色で、両面無毛である。

近くの石垣の割れ目には、最もポピュラーなタチツボスミレ(Viola grypoceras)がかたまって咲いていた。

大山寺本堂の左裏手から大神山神社奥宮参道へ、近道を通って合流した。この参道は日本一長いとされる約700mの石畳の参道である。昔は神仏融合していたので、参道沿いにはいくつもお地蔵さんが並んでいる。
一番左に「僧兵の力石」がある。最盛期には三千人もいたという僧兵が、平時この力石でお互いの力を競っていたと伝えられる。

薄暗い参道沿いには日陰を好む花がいくつも咲いていた。この黄色い花はケマン属のキケマン(Corydalis heterocarpa var. japonica)であろう。キケマンの種類はとにかく見分けがつきにくい。

こちらの白いカタバミは、ミヤマカタバミ(Oxalis griffithii)である。本州、四国、九州の山地の木陰に自生する。

参道の右手には苔むした大岩に「吉持地蔵」が彫られている。江戸時代中期のものといわれる。

参道から右に分かれて、大山から流れ下っている佐陀川の渓谷に出ると、切り立つ崖が両岸に迫った「金門」がある。俗に「切分け」ともいわれ、大山が山岳仏教の行場として開かれた所で、当時の遺跡もある。東側断崖南壁の下から約3mの所に、高さ1.3m位の地蔵菩薩が刻まれ、度重なる土石流により摩滅し輪郭だけが残っているというが、見分けにくい。