半坪ビオトープの日記

笠間稲荷神社


笠間市の中心部に笠間稲荷神社がある。創建は不詳だが、社伝では白雉2年(661)に創建されたという。参道に建っているはずの一の鳥居、二の鳥居が礎石のみ残して消えているのは、東日本大震災で破損し、倒壊の恐れがあるので撤去されたままである。正面の楼門は、「萬世泰平門」ともいい、重層入母屋造で、昭和36年に建立されている。

祭神は宇迦之御魂命であり、五穀豊穣、商売繁盛の神として古くから篤く信仰され、関東はもとより日本各地から年間350万人の参拝客が訪れる。日本三大稲荷の一つとされる。
笠間城主の井上正賢が、寛保3年(1743)に社寺・社殿を拡大したといわれ、その後、日向延岡藩より入封した14代藩主牧野貞通が祈願所とし、歴代藩主の崇敬をうけた。
豪壮な拝殿は昭和35年の建立で、鉄筋コンクリート造の銅瓦葺きである。

本殿は万延元年(1860)の建立で、外陣(本殿)と内陣(旧拝殿)からなる複合社殿である。屋根は入母屋造銅板葺きで、総欅の権現造りである。本殿の側面、裏面には、当寺の名工、後藤縫之助作の「三頭八方睨みの龍」「牡丹唐獅子」や、弥勒寺音八と諸買万五郎作の「蘭亭曲水の図」などの緻密で精巧な彫刻が施されている。

昔からこの地には胡桃の密林があったため、胡桃下稲荷とも呼ばれ、ほかにも紋三郎稲荷の通称もある。古めかしい東門は、文化13年(1806)に再建された入母屋造りの重厚な建物である。
屋根の棟には陶器製の龍が見られ、軒下にはいくつも奉納額が掲げられている。
珍しく青色と黄色の御幣が立てられている。

境内側には彫刻が施され、奉納された芳名額が掲げられ、左右に毛綱が奉納されている。

毛綱とは、社殿造営の木材を曳くために、女性の毛髪と麻を撚り合わせて作った綱である。

本殿の裏手に祀られている末社は、月読神社、白山神社、菅原神社、粟島神社、山倉神社の五社からなる。