気多大社が初めて文献に見えるのは万葉集である。天平20年(748)越中守・大伴家持が出挙のため能登を巡幸したとき、本社に参詣して「之乎路から直超え来れば羽咋の海 朝凪ぎしたり船楫もがも」と詠んでいる。 気多神社本殿の右手に並んで、摂社白山神社本殿…
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