半坪ビオトープの日記

東大社


銚子市香取市の中間にある香取郡東庄町に東大社がある。境内はかなり広々としている。
千葉氏一族の東氏の崇敬を受け、東荘33ヵ郷の総鎮守だった。

境内に掲げられた略記などによると、日本武尊追慕の東国巡幸で景行天皇がこの地に滞留の際、春臣命に命じて一社を造営、玉依姫命を祀って東海の鎮護としたのが始めとされる。
拝殿の手前左側に、神楽殿が建っている。

創建当時は東宮、八尾社と称したが、康和4年(1102)に朝廷から総社玉子大明神の号を賜り、以来王子大明神と共に永年併せ用いられ、オオジン様とも呼び親しまれている。現在は東大神、東大社と共に用いているという。
寿永3年(1184)源頼朝が御厨一処を寄進し、徳川家康天正19年(1591)に神領10石を寄進した。

銚子の渡海神社の際にも紹介したように、康和4年の大地震津波にあったとき、海神の怒りを鎮めるために、東大社(東庄町)・豊玉姫神社香取市)・雷神社(旭市)の三社が銚子の外川浜へ渡御したことを起源として、現在でも20年毎に神幸祭(式年三社銚子大神幸祭)が行われ、ここ東大社から20数kmも神幸する。その間も2年毎に利根川河畔の桜井の里へ小規模な神幸も行っている。

主祭神として玉依姫命を祀り、相殿にその夫の鵜葺草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)を祀っている。応永2年(1395)に東左馬助胤家が社殿を造営、現在の流造の本殿は、文政9年(1826)に、拝殿はその翌年に再建され、昭和31年(1956)に屋根が銅板葺きに改修された。拝殿虹梁の龍や本殿切妻の彫刻はかなり精巧に施されている。

本殿右奥には境内社神明社が祀られている。

本殿左手には弓道場がある。毎年秋の例祭に行われる流鏑馬神事は、神幸祭と同じに康和年間から始まったと伝えられている。現在では馬が手配できず、騎射装束の神官が社前の庭から矢を射る形に変わっている。

境内左手に、相撲の神様=野見宿禰像がある。同じ東庄町諏訪神社にも野見宿禰像がある。諏訪神社では、夏に奉納相撲=笹川相撲まつりが行われ、大相撲出羽海部屋の合宿もあるという。

本堂左手の参道脇に芭蕉の句碑がある。
野を横に馬引むけよほとゝきす はせを
これは「奥の細道」の黒羽から殺生石へ向う途中、馬子に乞われて与えた句である。東大社境内に馬が入るのを禁止する制札の意味でこの句碑を立てたと伝えられている。
歌人として名高い東氏本宗家の東常縁以来の伝統か、境内には和歌や俳句の奉納碑が多くあり、常縁筆と伝えられる詠草断簡を収蔵しているというが非公開である。