半坪ビオトープの日記

岡山後楽園


岡山市の中心部にある後楽園は、金沢市兼六園水戸市偕楽園とともに日本三名園に数えられている大名庭園である。江戸時代初期に造営された、元禄文化を代表する庭園で、国の特別名勝に指定されている。

後楽園は岡山藩主・池田綱政が岡山郡代官・津田永忠に命じて造らせたもので、元禄13年(1700)に完成した。岡山市内を流れる旭川を挟み、岡山城の対岸の中州に位置する。藩主が賓客をもてなした建物・延養亭を中心とした池泉回遊式の庭園で、岡山城や周辺の山を借景としている。江戸時代には延養亭を茶屋屋敷、庭園を後園または御後園と呼んでいたが、明治4年(1871)、園内を一般開放するにあたって後楽園と改めた。左に見える茅葺屋根の建物が延養亭である。後楽園の中ではここからの眺望が最も素晴らしく、園内の景勝がほとんど一望できる。戦災で焼失したが、昭和35年(1960)復元された。延養亭の裏手(西)には、能舞台、栄唱の間、墨流しの間が続いている。右の瓦屋根の建物は鶴鳴館という。戦後、岩国市の武家屋敷・吉川邸を移築したものである。

延養亭の裏手には花葉の池があるが割愛して、中央の沢の池を巡る。後楽園の総面積は13万3千㎡であり、東京ドームの約3倍である。当初、園内は綱政が田園風景を好んでいたため田んぼや畑が多かったが、明和8年(1771)に藩が財政危機に見舞われ、藩主・池田治政が経費節減のため芝生を植えさせ、次第に現在のような芝生の多い景観に変化していった。
前方に見える築山は、高さ約6mの唯心山である。唯心山の右手に見える茅葺屋根の建物は廉池軒である。池田綱政が最も好んで利用した御茶屋で、ここからの眺望は水の景色に優れている。   

沢の池の左手には、いくつもの島が見える。白砂青松が美しく灯籠が認められるのが砂利島である。当初は半島だったが、文久3年(1863)頃までに島になったという。

茅葺の廉池軒の周りの池から、ひょうたん池を通して沢の池まで水路で結ばれている。廉池軒の裏手には、旭川の向こう岸に建つ岡山城天守閣が姿を見せている。戦国時代にこの地を支配した宇喜多直家の子・秀家は、豊臣政権下で父の遺領をほぼ継承し、天正18年から慶長2年(1590-97)にかけて本丸を石山城から岡山に移し岡山城とした。関ヶ原の戦いの後に小早川氏が領主となり、その後、池田氏に引き継がれた。

唯心山は、池田綱政の子・継政が造らせた築山で、享保8年(1723)頃に着工され、享保20年(1735)頃に完成した。後楽園のほぼ中央に位置し、頂上から庭園全体が見渡せると同時に、どこからでも唯心山が眺められるように計画されている。築造によって平面的だった庭園が立体的となり、四方からの登り口が設けられて、北側の慈眼堂、南側の御茶屋廉池軒、西側の御茶屋延養亭、東側の流店からの眺望が考慮されたといわれる。山腹には唯心堂を設け、斜面にはツツジやサツキが植えられ、季節には紅白の花で彩られる。

唯心山の山頂からは、入口近くの延養亭、沢の池の全貌、芝生の広がり、廉池軒の周りの池から続く水路など、園内の景観をじっくりと眺めることができる。

眼下に横たわる沢の池に点在する島々は、左から砂利島、御野島、中の島である。中の島には弁財天堂が建立されていたが、宝暦4年(1754)に東南奥の千入の森に遷された。現在、中の島には島茶屋が、御野島には釣殿が設けられている。

唯心山から下って沢の池の池畔から振り返ると、後楽園の南に位置する岡山城がよく見える。その手前には唯心山の東麓に位置する休憩所の流店が見える。流店は、木造2階建ての寄棟檜皮葺。吹き抜けの亭舎の中央に水路を通し、中に美しい石を配した、全国にも珍しい建物となっている。元禄4年(1691)前後に建てられたのが始まりという。戦災で焼失を免れた貴重な建物である。

沢の池の北岸に至ると唯心山からも見えた鳥居が立っていて、参道の奥に園内六鎮守の一つである由加神社がある。天保11年(1840)に藩主・池田斉敏が児島の瑜伽大権現の分霊を江戸の池田家本邸に祀った。廃藩後、明治5年(1872)にこの地に移築された。

由加神社のすぐ西隣に、慈眼堂が建っている。元禄10年(1697)、園の鬼門の方角(北東)にあたる茶畑の西端に、池田綱政が還暦の厄払いで建立されたお堂。一族の子孫と領国の繁栄を祈願した。本尊は2体の観音像で、1体は法界院岡山市)より寄進された伽羅木の如意輪観音像で、もう1体は池田家所蔵の金銅の如意輪観音像である。明治になり、池田家に戻されそこで祀られているので、現在、慈眼堂は空堂となっている。境内には烏帽子岩、仁王門、板張の腰掛などが伝わっている。烏帽子岩は、高さ4m、周囲9尋の巨岩。瀬戸内犬島の花崗岩を36個に割って運び、園内で元の姿に組み上げたという。

慈眼堂のすぐ先(西)の沢の池北岸から、最後にもう一度唯心山を眺めやると、借景とされる岡山城が浮き上がって見えた。典型的な池泉回遊式の庭園であることが納得させられる。