半坪ビオトープの日記

兼六園、徽軫灯籠


5月上旬に金沢から能登半島を中心に北陸の史跡巡りに出かけた。まずは金沢最大の観光地、兼六園を訪ねた。水戸偕楽園、岡山後楽園と並ぶ日本三大名園の一つ兼六園は、池泉回遊式の江戸時代の代表的な大名庭園として、加賀歴代藩主により長い歳月をかけて形作られてきた。明治7年に全面的に市民に開放された。金沢城石川門に近い、最も一般的な桂坂口より入園する。

桜ヶ岡を通り抜けると、兼六園の中心に位置する霞ヶ池が見えてくる。園内で最大の池であり、栄螺山、内橋亭、徽軫灯籠、虹橋、唐崎松、蓬莱島などの名勝がこの池の回りに配され、回遊しながら四季折々の庭景を楽しめる。琴の糸を支える琴柱(ことじ)に似ることにより名付けられた徽軫(ことじ)灯籠の手前で、虹橋の上に立って記念撮影するのが人気のため、ここには人が絶えない。

左手に六勝の一つ「眺望」を楽しめる見晴らしのよい眺望台をやり過ごして進むと、右手に月見橋があり、その先に唐崎松が見事な枝振りを見せている。

加賀藩13代藩主・前田斉泰(なりやす)が近江八景の一つ、琵琶湖畔の唐崎松から種子を取り寄せて育てた樹齢約180年の黒松で、雪の重みによる枝折れを防ぐために冬に施される雪吊りは、兼六園ならではの冬の風物詩となっている。
六勝とは「宏大」「幽邃」「人力」「蒼古」「水泉」「眺望」という優れた景観の代名詞で、宋の書「洛陽名園記」には六勝を兼ね備えるのは難しく、共存するのは湖園だけと記述されている。その六勝を兼ね備えているという理由から、文政5年(1822)奥州白河藩主・松平定信により兼六園という名を与えられた。

月見橋を戻って左に進むと、右に姫小松が立っている。天正11年(1583)に初代藩主・前田利家金沢城に入城した後、間もなく植えられたと考えられ、推定樹齢500年の園内一の老木だったが、平成7年に枯死と断定され伐採された。この2代目姫小松は、昭和45年(1970)に呼び接ぎのために植えられた若木が育ったものである。

雁が列をなして飛ぶ様をかたどった雁行橋を右に見ながら進み、ことぶき亭を過ぎると右手に明治紀念之標がある。中央に立つのは高さ5.5mの日本武尊像で、左には西南戦争で落命した石川県兵士慰霊のための戦士尽忠碑がある。

明治紀念之標の左右に、手向け松という赤松が枝を広げている。明治13年(1880)に標が建立された際、京都の東西本願寺から手向けられたもので、特に左のお西からのお花松は右のお東からの松より幹回りが太く枝張りも広く見事で美しい。