半坪ビオトープの日記

鹿島神宮、末社


鹿島神宮常陸国一宮で、香取神宮、息栖神社とともに東国三社に数えられる古社である。
鹿島神宮の大鳥居は、2011年3月の東日本大震災で倒れて砕け散ったそうだ。幸い周囲に参拝者がいなかったためけが人はなかった。従前の大鳥居は笠間市産の御影石製で重さ約100トンの壮大なものだったが、再建は木製(杉)で計画され、2014年6月に完成する予定という。

鬱蒼とした森の中の参道の両側には、香取神宮と同じく古びた三つ穴灯籠がいくつも並んでいる。

それほど長くもない参道を進んですぐ右手に、末社の稲荷社があった。祭神は、保食神(うけもちのかみ)である。

楼門手前左手に鳥居があり、4つの末社がまとまって祀られている。

左手一番手前に熊野社がある。祭神は、伊弉諾命(いざなぎ)、事解男命(ことさかのをのみこと)、早玉男命である。事解男命とは、別名を泉津事解之男(よもつことさかのを)ともいう。伊邪那岐命は、死んで黄泉国に行った伊邪那美命を追いかけたが、伊邪那美命の遺体は既に腐っていて遺体の各部に八雷神が生まれていた。記紀本文では伊邪那岐命が慌てて逃げ帰ったとされるが、一書では永遠の別れとして伊邪那岐命は唾を吐いたとされる。その唾から生まれたのが速玉男命で、次に掃き払って生まれたのが泉津事解男命という。

その奥に二つ並んでいるのは左から、祝詞社と津東西社である。祝詞社の祭神は、太玉命であり、津東西社の祭神は、高龗(たかおかみ)神と闇龗(くらおかみ)神である。古くは境外社で、鹿島市大船津に津東西社跡の石碑が残っているという。古事記では、伊邪那岐神が火の神迦具土神の首を切ったときの血から闇淤加美神闇御津羽神が生まれたとされ、また、日本書紀の一書では、切られた軻遇突智が三つに分かれ、雷神、大山祇神とともに高龗神が生まれたとされる。

祝詞社と津東西社の向いの右側には、須賀社がある。祭神は、素戔嗚命である。