半坪ビオトープの日記

鎌足神社


根本寺の北西すぐの所に、藤原鎌足主祭神とする鎌足神社が、根本寺や鹿島神宮のある東を向いて建っている。
小さな神社で、境内・参道も細く短い。

藤原鎌足の生誕地は、一般には「藤氏家伝」による奈良県橿原市とされるが、「大鏡」や多武峰談山神社伝承には鹿島と記されている。江戸時代から明治にかけてまとめられた「新編常陸国誌」の鹿島郡・宮中の項に「鎌足社」があり、当地が鎌足の生誕地であるという説が紹介されており、この地域が江戸時代から鎌足ゆかりの地とされていることがうかがえるという。鎌足の父御食子は、鹿島神宮の神官ともいわれていることからも、ここらに住んでいて不思議はない。

境内右側には、明治25年に建てられた「大織冠鎌足公古宅址碑」という大きな石碑がある。

真新しい灯籠には、鹿のレリーフが施されている。鹿島神宮と中臣氏(藤原氏)とは非常に深い関わりがあり、藤原氏氏神である春日神社は鹿島神宮から勧請されている。その際、建御雷神の御神体は鹿の背に乗せられて運ばれたと伝えられている。春日神社の神使は鹿であり、鹿島神宮にも鹿苑があったように、鹿は藤原氏の象徴ともなっているからだろう。

神木らしき大きな木の脇に建つ社殿は、きわめて小さい。

社殿の床下に何やら石ころが備えられている。奥にあるのはバラバラになった五輪塔であり、手前の青石の台座の上にあるのは、白蛇のレリーフである。蛇がなぜここに祀られているのか推測してみると、鹿島神宮の祭神・建御雷神は、雷神とも理解され、雷神はまた龍神としても祀られたのではないかと思う。「常陸国風土記」には、ヌカヒメという蛇巫(へびふ、神である蛇を祀り、神託を受ける者)が、神蛇を甕の中で飼養していたことを示す伝承があるという。
大生神社と鹿島神宮との関係で触れたように、多氏と藤原氏は深い関係があり、日本最古の皇別氏族とされる多氏は、蛇神信仰を持っていたともいわれる。常陸風土記だけでなく、日本の古代を遡れば、蛇神信仰はどこにあっても不思議ではない。ともかく藤原鎌足が蛇神も祀っていたことを物語っていると考えられる。とはいっても、この神社もこの石もかなり新しいものと見受けられるので、後世の人々の思い入れの賜物ではないだろうか。