境内に入ってすぐ右手に紀貫之の歌碑がある。残念ながら紀貫之自身は、桜川を訪れてはいない。
「常よりも 春べになれば 桜川 波の花こそ 間なくよすらめ」
紀貫之(後撰和歌集)
その脇に、桜川を詠んだ歌が3首示されている。
秋の夜の月ぞ渡るる桜川 花はむかしのあとのしらなみ
(新三十六人撰 宗尊親王)
みなかみの木々のしつくのさくら川 花とともにやおちつもりけん
(尊澄親王)
散るや今 波にも花の さくら川(近衛三藐院信尹)
境内には珍しい木があった。鹿子(かご)の木という。カゴノキ属のカゴノキ(Actinodaphne lancifolia)は、暖地に生える常緑高木で、高さは20mにもなる。樹皮が灰褐色でまだらに剥がれて鹿の子模様となる。磯部稲村神社のカゴノキは日本の北限といわれ、林野庁からも大切に保存するよういわれているという。
社殿の廻りには摂社末社がたくさん祀られている。
本殿の裏から左側にかけても摂社があり、これは天神社である。
こちらは、末社の伊勢神宮である。
こちらは、よく見かける稲荷社である。
本殿の後方5mに要石がある。古代の祭祀遺跡ともいわれる。
形状は凸型で、鹿島神宮の凹型の要石と対をなし、鹿島ではナマズの頭を押さえ、磯部では尻尾を押さえると伝えられ、地震・災難除けの信仰がある。鎌倉時代後期に鹿島神宮の神領地とされた時代があり、また、この地、元鹿島との言い伝えがあるという。
これで、石岡市から筑波山、桜川市、笠間市と訪れた、12月上旬の一泊の史跡巡りを終えて、夕方までに足早に帰京した。