半坪ビオトープの日記

女体山から美幸ヶ原


つつじヶ丘から1時間強で女体山山頂に着く。山頂には昭和54年(1979)に改築された一間社流造の筑波山神社本殿が建っていて、筑波女大神を祀っている。この神は伊邪那美命であり、社伝によると、伊邪那岐命と生んだオノゴロ島は筑波山だとされる。『古事記』には、イザナギイザナミの二柱の神が雲の上に浮かぶ「雨の浮橋」に立ち、玉で飾った天の沼矛(ぬぼこ)を下ろしかき回すと、その矛の先から雫が滴り落ち日本の国ができたと記されている。その天の浮橋が本殿の後ろにある。平成21年(2009)に再建されたものである。拝殿は麓にある。古来から祀られていたので、女体山付近での祭祀遺物も7世紀から12世紀にわたり多数発見されている。

女体山は標高877mあり、西側の男体山(871m)より高く、筑波山山頂でもある。筑波山は遠くから見ると紫色に見えるので、雅称として紫峰とも呼ばれる。古来、筑波嶺とも呼ばれていた。『常陸国風土記』によると、筑波山の西峰(男体山)は険しく、神の峰として登山が禁じられていた。一方、東峰(女体山)は険しいながら夏冬絶えず泉が流れ、春秋には男女が集い歌垣が行われていたという。筑波山は『万葉集』にも数多く謳われているので、高橋虫麻呂の歌垣(嬥歌=かがい)の歌を取り上げると、
筑波嶺に登りて嬥歌会をする日に作る歌一首
鷲の住む筑波の山の裳羽服津の その津の上に率ひて 未通女(をとめ)壮士(をとこ)の行き集ひ かがふ嬥歌に 人妻に吾も交はらむ あが妻に他(ひと)も言問へ この山を頷く神の昔より  禁(いさ)めぬ行事(わざ)ぞ今日のみは めぐしもな見そ 言も咎むな(巻九−1759)

男体山に向かって右側(北側)には加波山(709m)へと筑波連山の山並みが続いている。加波山は天狗の山としても知られ、山頂には加波山神社本宮の本殿が鎮座している。

正面(西側)には男体山が向かい合う。山頂付近には数多くのアンテナが認められる。手前の鞍部は美幸ヶ原と呼ばれ、ケーブルカーの筑波山頂駅がある。

女体山山頂から北に下ると、つつじヶ丘から上がってくるロープウェイ女体山駅からの道が左から合わさる。まもなく右手にガマ石が現れる。元来、「雄龍石」といい、傍に「雌龍石」もある。昔、永井兵助がこの場所で「ガマの油売り口上」を考え出したことで、ガマ石と呼ばれる。口の中に石を投げ入れると出世するという言い伝えがあり、女性が何度も挑戦していた。

まもなく岩の間に小さな社が安置されている。鶺鴒(せきれい)稲荷といい、祭神は伊邪那美命を祀っている。

鶺鴒稲荷のすぐ先にある大きな岩は、セキレイ石という。この石の上につがいの鶺鴒が止まり、夫婦の契りを交わしている姿を見て、伊邪那岐命伊邪那美命が夫婦の道を開き子を生んだとされる。

セキレイ石のすぐ先には、せきれい茶屋があり、やがて左側に「かたくりの里」という休憩場所もある。3月下旬から4月下旬にかけて、この辺りには3万株のカタクリの花が咲くという。

10月の登山道わきには、黄色いキンミズヒキ(Agrimonia pilosa var. japonica)の花が咲いていた。北海道〜九州の山野に生える多年草で、高さは30〜80cmになる。葉は奇数羽状複葉、小葉は5〜9個で、縁に鋸歯がある。花期は7〜10月。茎先に細長い総状花序をつけ黄色い5弁花をたくさんつける。タデ科の赤いミズヒキとは違い、バラ科である。

鞍部の美幸ヶ原にたどり着くと、土産物屋が建ち並び、ケーブルカー山頂駅に併設されているコマ展望台が建っている。一階は売店、二階は食堂、三階は屋上展望台となり、入場無料である。万葉集にも歌われた歌垣(嬥歌)は、この美幸ヶ原で春秋の年2回行われた。