半坪ビオトープの日記

加波山三枝祇神社、合祀殿


加波山には、加波山神社(もと加波山中宮)・加波山三枝祇(さえなずみ)神社本宮(もと加波山本宮)・加波山三枝祇親宮(もと加波山新宮)の3つの神社が座し、総じて加波山大権現と称していた時代もある。江戸時代には、中宮文殊院、本宮が正幢院、新宮が円鏡院という寺院が治め、神仏混合の3社に分立していた。明治の廃仏毀釈で3社に独立した。

山中にはこれら3社の本殿と拝殿があるほか、多数の境内社、修験者・参拝者の宿泊施設が点在し、山麓にも拝殿が3所(真壁側に2、八郷側に1)設けられている。現在では「加波山神社」と「加波山三枝祇神社」の2社により管理がなされ、行事も独立に執り行われている。今回は、加波山山頂や八郷町には行かず、麓の真壁町だけを見て回る。まず最初に、加波山三枝祇神社本宮・新宮の真壁側里宮合祀殿を見る。ここで毎年冬至の日に、燃え盛る薪の中を裸足で歩き渡る、火渡り祭が行われる。

拝殿の扁額には「延喜式加波山本宮親宮合祀殿」と書かれていて、その左右に赤い天狗の面と青い烏天狗の面が掲げられている。江戸時代の国学者平田篤胤が「岩間山に13天狗、筑波山に36天狗、加波山に48天狗」と記しているように、修験道の山として知られる加波山では、今でも山伏の修行である「禅定」が行われ、全国から修験者達が集まるという。

加波山三枝祇神社本宮の祭神は、伊荘册命、速玉男命、事解男(ことさかお)命の3柱を主祭神に、火具土命、八雷命、日本武命、庚申神命、猿田彦命を配祀する。由緒は不詳だが社伝によれば、景行天皇41年、日本武尊が東夷を平定するに際して加波山に登拝、神託により社殿を建てたのが創祀とも、茨城国造であった三枝部連がその祖神を祀ったものであるともいわれ、また神護景雲2年(768)に黄泉国から伊荘册命以下11柱が顕現し、大同年間(806-10)に徳一和尚が登拝して薬師・弥陀・釈迦の三尊を本地仏と定めて崇めたともいう。
合祀殿の裏にある本殿は、残念ながらあまりよく見えない。

境内右側にあるこの建物は、神輿蔵であるが、詳細は分からない。

境内奥には八大龍神の石碑が立っている。

少し石段を上がった所には、天狗社が祀られている。