半坪ビオトープの日記

月水石神社


もう一度つくば道に戻って、臼井地区の飯名神社の近くの稲葉酒造場を探しているときに、月水石神社という聞き慣れない名の神社の案内を見つけた。鬱蒼とした森の中の細い道をたどって進むと小さい社が見えてきた。

月水石神社の手前には、祭神として祀っている石長比売(磐長媛、イワナガヒメ)の謂れが掲示されている。古事記日本書紀に書かれているように、石長比売は大山津見神の娘で、木花之佐久夜毘売の姉にあたる。天上から地上に降臨した邇邇芸命ニニギノミコト)が、美しい木花之佐久夜毘売との結婚を大山津見神に申し込むと、大山津見神は醜い姉の石長比売も一緒に差し出した。邇邇芸命は、姉を送り返して木花之佐久夜毘売とだけ結婚した。そのため天皇(人間)は、石のように不死ではなく、植物のように子孫を生み残して死ななくてはならなくなったという。その石長比売は、筑波の地にとどまって筑波山の守護神となったという。

この月水石神社は、名前の由来の通り、月に一度赤い水を流すと言い伝えられている巨岩が御神体であり、婦人病にご利益があると篤く信仰されているそうだ。

月水石神社への道は、途中で小さな沢を越えて行くのだが、これが男女川(みなのがわ)だと思われる。この辺りには巨石があちこちにゴロゴロしている。男女川といえば次の歌を思い出す。
「筑波嶺の峯より落つる男女川 恋ぞつもりて淵となりぬる」   
 陽成院小倉百人一首

名神社入口の左手(西)にある稲葉酒造場をようやく探し当てた。江戸時代から続く酒造で、筑波山神社のお神酒「男女川」の醸造元として知られている。一本買い求めて帰宅してから吞んだところ、たいへんのどごしがよかった。

買い物のため筑波山麓から下りてみたら、急に雲が晴れて青空となった。さほど高い山がない関東平野では、「西の富士、東の筑波」と呼ばれ愛されてきた。日本最古の歌集、万葉集には筑波山を詠んだ歌が25首収められているといわれる。日本一の高さを誇る富士山が13首だから、筑波山の方が親しまれていたといえよう。かつて連歌は「筑波の道」ともいわれたように、筑波山は歌とゆかりが深い場所でもある。そもそも筑波山万葉集に多く歌われ、連歌へと脈々と繋がっていくのは、男女が歌を詠み交わす嬥歌(かがい)の伝説が筑波山にあるからである。
常陸国風土記では、春秋2回、箱根より東の広い範囲から男女が筑波山に集まり、飲食を持って遊楽したと記されている。その場所がどこかは諸説あるが、筑波山神社より東の夫女ヶ原がその場所の一つだろうと、そこに嬥歌を歌った高橋虫麻呂の歌碑があるという。
筑波嶺に登りて嬥歌會をする日に作る歌一首
「鷲の住む筑波の山の裳羽服津(もはきつ)の その津の上に率(あども)ひて 未通女壮士(をとめをとこ)の行き集ひ かがふ嬥歌に人妻に 吾も交はらむあが妻に 他(ひと)も言問へこの山を 頷(うしは)く神の昔より 禁(いさ)めぬ行事(わざ)ぞ今日のみは めぐしもな見そ言も咎むな」 (万葉集 巻九1759)高橋虫麻呂

関東平野のどこからでも見渡せたといわれる筑波山であれば、ここから見渡す関東平野もさぞや広々としていることだろうと、泊まった山麓のホテルから眺めてみた。