半坪ビオトープの日記

大覚寺


西念寺から南に向い石岡市に入った所、板敷山の南麓に大覚寺がある。笠間市稲田の西念寺親鸞が草庵を結んで、北関東を中心に布教した時に、法難にあったことは西念寺の所で既に触れたが、その法難の地が大覚寺である。

山伏・播磨坊弁円は、修験道の大家として護摩堂を立てるなど周辺で徳を集めていた。親鸞の名声を恨んだ弁円は、三十数人の弟子を従えて板敷山の頂きに護摩壇を構え、稲田から府中(今の石岡市)へ通ずる道を往還する親鸞を殺害しようと三日三晩待ち続けたが果たせなかった。業を煮やして稲田の聖人宅を襲うものの、聖人にあって害心を失い、山伏の身を捨てて門弟・明法房となった。左の大きな石碑は、小林一茶の句碑である。
「秋の夜や祖師もかやうな石枕」  一茶

親鸞の弟子、周観大覚が承久3年(1221)に開山したという大覚寺は、法難の伝承を伝える寺院で、正式には浄土真宗本願寺派の板敷山大覚寺という。本堂は「出内陣」という特異な形式を持つ。本堂内に、弁円懺悔の木造が安置されているという。背後にそびえる板敷山には、弁円の護摩壇跡がある。

親鸞が弁円を説法したのは、確か稲田の草庵(西念寺)のはずだが、どういうわけかここに説法石がある。説法石の右には、樹高13.3m、推定樹齢500年というヤブツバキの古木がある。
説明板には芭蕉の句が書かれていた。
「落ちざまに水こぼしけり花椿」  芭蕉

大覚寺には、どの角度から見ても鑑賞できることから「裏見無しの庭」と称される池泉回遊式庭園がある。

名勝の庭園は、京都の桂離宮の庭園を模して造園されたといわれ、四角い四方竹など珍しい草木が繁茂している。

鐘楼の手前には小さな親鸞像が立っている。その左の石碑には「遠慶宿縁(おんきゅうしゅくえん)」と彫られている。遠く宿縁をよろこべ、と読む、教行信証の序文にでてくることばである。