半坪ビオトープの日記

月山寺、本堂


西念寺から西に向い、桜川市に入ってすぐの羽黒駅の北に進むと、天台宗の月山寺がある。境内はしっかりとした塀と山門に囲まれている。石垣は地元稲田御影石が使われている。
この山門は、幕末に建てられた一夜門という。笠間藩の殿様から寺の欅を城へ献上せよとのお達しがあったが、当寺の住職がこれを嫌って一夜のうちに山門を建てさせたとか。当寺の格式は、月山寺が10万石を与えられており、当寺越後長岡の牧野家の分家でもあった笠間藩は8万石であったので、月山寺の方が格上であったのである。

月山寺は、延暦15年(796)に法相宗の徳一法師により橋本山(現在地から南に見える山)の麓に創建され、大治2年(1127)橋本城主谷中将国により菩提寺として保護された。永享2年(1430)に天台宗に改宗された。関ヶ原合戦の時に東軍戦勝祈念があり、勝利の功により格式10万石、朱印地60石を賜り、現在地に移転した。正式には曜光山見星悟道院月山寺という。

古くは寛永3年(1626)に寺院が焼失したが、当寺の笠間藩主浅野長重(浅野家は、後に赤穂へ国替えとなり、元禄15年(1703)の赤穂浪士の話となる)の援助で再建されたという。
本尊は薬師如来で、行基菩薩の作と伝わる。現在の本堂は、延宝8年(1680)常陸の宮大工、桜井瀬兵衛による建立という。密教様式で、間口11間という巨大な本堂である。月山寺は、江戸時代には天台宗の学問と修行の場である関東八檀林の一つとして栄えた。

本堂前は、枯山水の庭になっていて、ここを訪れた12月上旬にはまだ紅葉の名残が見られた。月山寺は、東国花の寺百ヶ寺の茨城5番となっている。

本堂の左手には庫裏か寺務所が続いていて、玄関脇には見事な菊の鉢植えがいくつも飾られていた。

寺務所の前には五葉の松が植えられている。樹齢約700年という。

本堂右手の高台には、千手観音堂が建っている。寛永9年(1632)に栃木県二宮町長栄寺に建立されたもので、平成10年にこの地に移築された。中国式の寺院形式である。

千手観音堂の右手に並んで建っているのは、鐘楼堂である。

山門を入ってすぐ右手、高台の鐘楼堂の手前に、布袋堂が建っている。布袋様が祀られていて、常陸七福神の一つに列している。