半坪ビオトープの日記

黒塚、観世寺


曽良随行日記には、「供中ノ渡ト云テ、アブクマヲ越舟渡し有リ。その向ニ黒塚有。小キ塚ニ杉植テ有。又、近所ニ観音堂有。大岩石タヽミ上ゲタル所、後ニ有。古ノ黒塚ハこれならん、右ノ杉植し所は鬼ヲウヅメシ所成らん、ト別当坊申ス。天台宗也」とあるが、そのお寺がこの真弓山観世寺である。

神亀3年(726)鬼婆を退治した那智東光坊祐慶阿闍梨の開基と伝えられている。

本堂は、天明8年(1788)の再建で、本尊は、阿弥陀如来とされる。

本堂の左には土蔵の形をした毘沙門天堂と薬師堂が並んで建っている。

右の毘沙門天堂の中には、毘沙門天像と不動明王像が祀られている。虹梁に掲げられているバッテン印は丹羽直違(にわすじちがい)の紋といい、二本松藩主・丹羽氏の家紋である。丹羽氏が当寺の毘沙門天を信奉していたことによる。

左の薬師堂の中には、薬師瑠璃光如来と小さな諸仏が祀られている。薬師堂入口に描かれている梵字は、薬師如来を表す梵字で、「バイ」と発音する。

本堂に向き合い、巨岩・奇石群を背にして、白真弓如意輪観音堂が建っている。鬼婆を退治したという如意輪観音の功徳は後世に伝わり、奥州仏法霊場の随一と称する天台宗の古刹となった。

白真弓如意輪観音堂には、僧・行基作と伝えられる秘仏・白真弓如意輪観音像が祀られていて、60年ごとに開帳される。直近では昭和57年(1982)に開帳された。安達三十三観音霊場の第十四番札所となっている。

観音堂の左脇には、出刃洗の池がある。鬼婆が出刃を洗った池といわれ、血の池とも称する。

境内に入って右側奥には、鬼婆石像がある。本堂の右手には宝物殿があり、鬼婆が使ったという出刃や鍋・釜、東光坊祐慶が使ったという笈や錫杖などが展示されている。