半坪ビオトープの日記

月山寺、美術館


神社仏閣には、社宝、寺宝が多く保管されていて、宝物館を建てて一般に公開している所があると、寺社巡りをしていてたいへん助かっている。いくら素晴らしい仏像や社宝・寺宝を祀っていても、年に一回の開張では、巡り会うことはほとんどないからである。
月山寺は、多くの寺宝のほかにも美術品をたくさん持っていて、美術館を昭和63年に開館している。楽しみにして訪ねたところ、「本日は閉館です」との掲示にがっかりした。諦めて帰りかけたとき、寺務所から掃除機の音が聞こえてきたので、大声で「美術館を見せてください」と頼んだところ、自称修行僧のSさんが快く承諾してくれた。

1階には地元出身の画家、榎戸庄衛や永瀬義郎の絵がたくさん展示されている。2階には仏像や仏画、工芸品、古文書などが展示されている。そして1階と2階の合間には、笠間出身の木村武山が描いた飛天の襖絵が何枚も掲げられている。

足を引きずりながら2階も案内してくれたS修行僧は、なんと97歳であった。一番の寺宝は、武蔵坊弁慶が背負ったと伝わる網代笈(おい)で、国の重文に指定されている。

最も興味深く拝見したのは、県指定文化財の中将姫蓮糸三尊種子曼荼羅である。中将姫の蓮糸曼荼羅といえば、当麻寺の本尊である当麻曼荼羅が有名で、中将姫が阿弥陀仏に一目会いたいと一夜で一丈五尺(約4m四方)の蓮糸曼荼羅を織り上げたという言い伝えがよく知られている。三尊種子とは、阿弥陀三尊つまり阿弥陀如来を中心にその下左右に脇侍観音・勢至菩薩のそれぞれ種子(しゅじ=仏尊を象徴する真言梵字で表したもの)を配するもので、よく板碑に見られる。中将姫蓮糸三尊種子曼荼羅では、三尊種子を中将姫の黒髪で編み込んでいると伝えられている。

こちらは室町時代の両部曼荼羅である。日本密教の教えの中心となる大日如来を中央に配して、さらに数々の仏を一定の秩序に従って配置したもので、胎蔵界曼荼羅金剛界曼荼羅の二つを合わせて両界曼荼羅とも両部曼荼羅とも称する。右が胎蔵界曼荼羅、左が金剛界曼荼羅である。

この観音菩薩立像も優品である。ほかにも木造薬師如来坐像、青銅製五鈷鈴、紺色金泥法華経8巻、蓬莱山文呉須大皿など多数の県指定文化財が展示されている。

美術館前の大きな石碑には、天台座主が訪れた時に書いてもらった「夢」という文字を大きくしたものが刻まれている。

石碑の美術館側には、伝教大師最澄像があり、石碑には伝教大師の言葉が刻まれている。

寺務所の向いには、大きな榧(かや)の木が立っている。珍しく、幹の途中には桜の木が寄生していた。