半坪ビオトープの日記

熊野磨崖仏


豊後高田市田染にある熊野磨崖仏は、平安時代後期の磨崖仏とされ、国の重要文化財および史跡に指定されている。磨崖仏への入口は、田原山(鋸山)山麓にある胎蔵寺であり、寺の脇から石段を15分ほど上っていく。

石の太鼓橋を渡り、杉の巨木に囲まれた石段を登ると熊野神社の石造の鳥居がある。

石造鳥居の先から、赤鬼が一夜で築いたと伝えられる自然石の乱積石段が、熊野磨崖仏まで100段も続く。

鬼の石段は元々乱積みだが、歩きづらいので歩きやすい靴が必要だ。頼めば、受付で杖を貸してくれる。

急峻な石段を登ると左手が開け、岩壁に刻まれた2体の巨大な磨崖仏が現れる。向かって左に位置するのが不動明王像、右奥に位置するのが大日如来像とされる。

左の不動明王像は高さ約8mの半身像。比較的軟らかく加工しやすい岩壁に刻まれており風化が進行しているため、明王像ではあるが憤怒の相は現さず、口元に柔和な笑みを浮かべているようにも見える。左右両脇には高さ約3mの矜羯羅童子制多迦童子の痕跡が認められる。さらに左脇侍像の外側に男神像が二つ認められ、熊野権現との関連から家津御子(けつみこ)、速玉の二神と考えられている。

右奥の伝・大日如来像は高さ約6.7mの半身像。高さ約8mの龕(がん=くぼみ)の中に彫り出されている。螺髪等の造形的特徴から不動明王像よりも制作年代が下がると推定され、本来の像名は不明である。国の重文指定名称は「如来形(ぎょう)像」となっている。頭部上方には三面の種子曼荼羅が刻まれている。

磨崖仏の右側の石段を登り詰めると熊野神社の拝殿がある。

拝殿の裏には本殿が続き、その右の崖には石の祠や赤い前掛けをかけたお地蔵様が祀られている。

さらにその右側には石の祠や石灯籠があり、小さい龕がいくつも掘り出されていて、神社の社殿ができる以前にはこの崖が信仰の対象だったのではと思われる。

石段を下って帰る途中、右手に折れると胎蔵寺に出る。今熊野山胎蔵寺が記録に現れるのは、仁安3年(1168)の「六郷山二十八本寺目録」である。国東六郷満山霊場の第5番で、熊野権現を鎮守とする。阿弥陀如来薬師如来を本尊とし、寺宝として3面の懸仏を保管している。

旅の最後に別府の上人ヶ浜にある海浜砂湯を体験した。浴衣を着て寝転ぶが、男女混浴である。全身を温かい砂の中に埋めて顔だけ出し、汗をかいて温まる。もちろん写真も撮ってくれる。

大分空港では大分県ご当地ビールが並べられていたので、いろいろな味を試して見た。左から「ドン・ザビエル スタウト黒ビール」、「油屋熊八麦酒 ヴァイツェン別府八湯物語」、「鉄腕稲尾 玄米純金箔麦酒」、「熊八麦酒 ブラウンエール」。