半坪ビオトープの日記

息栖神社、拝殿


息栖神社の主祭神は、岐神(くなどのかみ)で、天鳥船神、住吉三神を配祀している。江戸時代には息栖の名から、祭神は気吹戸主神と考えられ、芭蕉の句にもその名が残っている。
宮城県陸奥國一宮塩竃神社は、左宮に鹿島神(武甕槌命)を祀り、右宮に香取神(経津主命)を祀り、別宮に鹽土老翁神を祀っている。鹽土老翁神は、潮流・航海の神であると同時に先導の神である。息栖神社の主祭神の岐神は、厄除招福・交通守護の神であると同時に鹿島・香取の大神とともに先頭に立って東国開拓にあたった。天鳥船神(あめのとりふね)も、古事記の国譲りの際に、天鳥船を建御雷神に副えて遣わすとあるように、鹿島大神の出雲への先導を務めた神である。住吉三神(上筒男神・中筒男神・底筒男神)も海上守護・交通守護の神として祀られている。このように五柱の神々を祀っているので、古くは息栖五所明神とも称された。

古くは神栖市日川に祀られていた祠を、大同2年(807)に現在地へ遷座したという。三代実録に、仁和元年(885)に従五位下を授けられたとある古社で、中世には鹿島神宮検非違使が神主をかねていた。

社殿は享保8年(1723)に建て替えられたが、昭和35年に焼失し、同38年に鉄筋コンクリート造で再建された。全体が白く柱などはピンク色で、拝殿も本殿も入母屋造である。

ここには御遷座千貳百年記念碑が建っている。大同2年(807)の遷座からだと2007年のことだろう。

境内には古く苔むした石祠が、数多く並んで祀られている。

この大きな石碑は、息栖神社造営碑で、再建後の昭和39年に建てられている。

推定樹齢千年の御神木は、別名・息栖の夫婦杉とも呼ばれるが、同じ一本の木の表と裏を逆さに見ると男性女性を表しているという。