半坪ビオトープの日記

鹿島神宮、奥宮


拝殿前から奥宮に通じる道は、奥参道という。鹿島神宮の森は、約70万㎡の広さがあり、800種を超える植物が繁茂し、照葉樹林の北限としても重要として県の天然記念物に指定されている。

奥参道の両側にも三つ穴灯籠が立っている。

左手には鹿園があり、その手前に真新しいさざれ石がある。

奥宮近くの右側には、末社の熱田社がある。祭神は、素戔嗚命稲田姫命である。稲田姫は、古事記では櫛名田比売日本書紀では奇稲田姫と表記されスサノオの妻である。

奥参道の突き当たり右側に、鹿島神宮摂社奥宮本殿がある。三間社流造向拝一間檜皮葺で、慶長10年(1605)徳川家康が本殿として奉納されたものを元和の造営の際に引き移したものであり、国の重文に指定されている。奥宮の祭神は、武甕槌大神荒御魂である。
荒魂(あらたま、あらみたま)とは、神の荒々しい側面、荒ぶる神であり、神の祟りは荒魂の表れである。
それに対し和魂(にぎたま)は、雨や日光の恵みなど神の優しく平和な側面であり、神の加護は和魂の表れである。人々は神の怒りを鎮め、荒魂を和魂に変えるために、神に供物を捧げ、儀式や祭を行ってきたといえる。

奥宮前に芭蕉の句碑がある。貞享4年(1687)芭蕉が「鹿島詣」の旅で、鹿島神宮に参宮した折に詠んだ句である。句碑は明和3年(1766)に建立されている。
此松の実生せし代や神の秋 芭蕉

芭蕉句碑の近くには、柿麿と虎杖の句碑がある。
月花に和らぎし夜や常陸帯 柿麿
鶯や神楽拍子になれて鳴く 虎杖
柿麿、虎杖は、江戸時代末頃の俳人で、親子といわれる。須田柿麿は牛堀(現潮来市)の人で、本名は源之丞。虎杖は神宮近くの豪商で高安佐七という。句碑は、虎杖と兄の2名で安政2年(1856)に建立された。