半坪ビオトープの日記

息栖神社、忍潮井


二の鳥居の正面200mほどの、常陸利根川に面して一の鳥居がある。
真中に大きな一の鳥居があり、その左右に不揃いの小さな鳥居が建っている。陸から見て右の大きい方が男鳥居で、左の小さい方が女鳥居であり、それぞれの根元からは水が涌き出している。

この湧き水は、「忍潮井(おしおい)」と呼ばれ、伊勢の明星井、伏見の直井とともに日本三霊水に数えられているという。

男瓶・女瓶と呼ばれる二つの井戸は、神功皇后の時代に造られたと伝えられ、海水を押しのけて清水が湧出しているので忍潮井と名付けられたという。

一の鳥居の前は小さな港になっていて、今でもいくつか船が係留されている。かつては香取の海の沖洲津(港)と呼ばれた船着き場で賑わい、往時を偲ばせる歌も残っている。
「大船の香取の海に碇おろし いかなる人か物おもわざらむ」柿本人麿
「今よりはぬさとりまつる舟人の 香取の沖に風向うなり」藤原家隆

江戸時代には東国三社巡拝の旅が盛んになり、芭蕉だけでなく文人墨客も多く訪れた。東海道中膝栗毛で有名な十返舎一九も訪れ、「いつまでも息栖の神の名にめでて水にうきゝの瓶ぞ久しき」と詠っている。明治の文豪・徳富蘆花も「自然と人生」という随筆の中で、当寺の息栖河岸の情景を描いている。

忍潮井の脇に何やら石碑が建っている。「風の音の遠き御代より 詣で人水際に仰ぐ 畏きや息栖の宮の大鳥居 大いなる鹿島開発の歩みの中に 地を穿つ柱太知り 秋宝に笠木高知り 今ぞ築き建つ」昭和四十七年十月