半坪ビオトープの日記

円覚寺、開基廟


妙香池の先に進むと左に開基廟がある。弘安7年(1284)に没した開基北条時宗の廟所であり、北条氏の廟所でもあり仏日庵御霊屋とも呼ばれる。北条氏滅亡後は次第に衰微し、天文年間(1532~55)以後に玉泉軒から入った鶴隠周音が中興して塔頭とした。
門をくぐると左に本堂、右に開基廟がある。本堂前には昭和8年魯迅から寄贈された泰山木と木蓮がある。

現在の開基廟は、文化8年(1811)に改築されたものといわれる。

廟所には、十一面観音座像と8代執権北条時宗、9代執権貞時、14代執権高時の僧の姿をした木像座像が安置されている。廟所の右手には、川端康成の「千羽鶴」の舞台となった茶室烟足軒もある。

境内には秋の花がいくつか咲いている。この紅紫色の蝶型の花は、ソラマメ属のナンテンハギ(Vicia unijuga)という。日本全国の山野に自生する多年草で、高さは50~90cmになる。

仏殿右手の道を進み苔むした石段をかなり上ると、弁天堂と鐘楼がある。
弁天堂の前の鐘楼には、正安3年(1301)の銘をもつ国宝の梵鐘が架かっている。総高2.6mと鎌倉最大で、洪鐘(おおがね)と呼ばれている。

大旦那は9代執権北条貞時で、鋳物師は物部国光。銘文は西澗子曇(せいかんすどん)が撰している。鋳造を頼まれた物部国光は二度失敗するが、北条貞時が七日七夜江ノ島弁財天に参籠した加護によって三回目に成功した。

貞時は洪鐘鋳造の成功に感謝して弁天堂を建立した。弁天堂には江ノ島にあった弁財天が円覚寺の鎮守として祀られている。この弁財天は弘法大師の作ともいわれ、江ノ島の弁財天とは夫婦弁天と呼ばれている。