半坪ビオトープの日記

南湖公園、翠楽苑


白河市への帰りがけに羽鳥湖高原を横切った。羽鳥湖は、周囲16km、最大水深31.2mの人造湖として昭和31年に完成した。
羽鳥ダムは、堤高37.1mのアースダム(土堰堤)で、アースダムの規模としては全国屈指という。今はかなり水量が少なくなっている。

白河市街地の南に国指定の史跡・名勝である南湖公園がある。白河藩12代藩主松平定信が江戸と白河に作庭した5つの庭園の一つとして、享和元年(1801)に造られた。定信は、アシ・カヤなどが生い茂る大沼という沼沢地を浚渫し、東側の堰堤を改修した。周囲2kmの湖畔にはアカマツを中心に吉野桜や嵐山楓などが植えられ、日本最古といわれる公園として整備された。
定信は、身分の差を越え誰もが憩える「士民共楽」という理念を掲げ、塀がなく、誰もが集える地を造った。さらに右手の鏡山の麓の湖畔に、部屋を仕切る鴨居や敷居のない「共楽亭」という茶室を造り、「やま水の高きひききも隔なく共にたのしき円居(まどい)すらしも」と詠んだ。

定信の庭園理念を引き継ぎ、南湖の北岸に平成7年、翠楽苑という日本庭園が造られた。その入口に松平定信像がある。徳川幕府8代将軍吉宗の孫で、26歳で白河藩主になった定信は、天明の大飢饉から領民を救うため、自ら率先して倹約に勤め、迅速に食料救済措置を行ったため、白河藩からは飢饉による死者を一人も出さなかったと伝えられている。後に11代将軍家斉のもとで老中となり、寛政の改革を行った名君として知られる。定信は隠居して雅号を楽翁と名乗ったので、楽翁公の像と呼ばれる。

楽翁会館という受付の前も、広々とした休憩スペースとなっている。

翠楽苑は、南湖の緑と湖水に通じる「翠」と雅号楽翁の「楽」から名付けられた。

庭にはアカマツ、カエデなど59種約4000本の樹木が植えられ、コスモスやホトトギスなどの花々も咲き乱れている。リンドウもたくさん咲いていた。