半坪ビオトープの日記

八幡宮、本宮


舞殿の後ろの大石段の左手に大銀杏の跡がある。3代将軍源実朝を暗殺した公暁が隠れていたという伝説から「隠れ銀杏」とも呼ばれていた樹齢約千年の古木は、平成22年3月に突然倒れてしまった。倒れた幹は切断されて左に移植され、残った根からは翌月新芽が出てきた。

大石段の上の本宮は、上宮とも呼ばれる。建久2年(1191)の社殿焼失後に、上宮と下宮の体制とし、この地に改めて石清水八幡宮を勧請した。
随身門(楼門)の中の社殿(本殿・幣殿・拝殿)は、国重文に指定されている壮麗な権現造で、回廊・武内社とも徳川11代将軍家斉が文政11年(1828)に造営したものである。扁額の八幡宮の「八」の字は、鳩の姿となっている。

鶴岡八幡宮は幕府の祈祷の中心的役割を果たすとともに、頼朝の征夷大将軍源頼家、実朝などの叙位任官の拝賀の儀式をすべてこの鶴岡八幡宮で行い、内裏の機能を併せ持ったとされる。
祭神は、応神天皇比売神神功皇后で、八幡神と総称される。

随身門の守護者である随神像は、向かって左のこちらの吽形は矢を持って鎮座し、右の阿形は刀を持って鎮座している。

西側回廊を利用した宝物殿には、桃山期から江戸初期の7基の神輿や、鎌倉時代の擬宝珠、栄西禅師が中国で建久元年(1190)に贈られた堆黒箱などが展示されているが、撮影禁止である。
外から見た西側回廊も荘厳で、国の重文に指定されている。

西側回廊の脇の小山に上ると丸山稲荷社がある。

本殿は小さいながらも室町時代の和様で、1間社流見世棚造の様式をもち、後の修理もあるが、関東地方では数少ない中世の神社建築として貴重なものである。