半坪ビオトープの日記

円覚寺、唐門


円覚寺は、文永・弘安の役という2度の蒙古襲来で戦没した敵味方双方の将兵の霊を慰めるために北条時宗により造営された。弘安5年(1282)の開堂後も造営が続き、禅宗で最も重要な法堂の造営は、元亨2年(1322)であった。鎌倉時代末には建長寺寿福寺とともに五山の称号を得た。室町時代には鎌倉五山2位が確定したが、室町幕府衰退とともに寺運は傾いていった。元禄16年(1703)の大地震関東大震災などで全山の建物が崩壊するたびに再建されてきたが、禅宗建築の中核をなすべき法堂は、残念ながら江戸時代以来復興されていない。
仏殿の後ろが法堂跡で、仏殿の左には禅堂・座禅堂ともいわれる選仏場がある。元禄12年(1699)に経蔵を兼ねて立てられた寄棟造で、仏殿の西側に座禅堂を配するのは七堂伽藍の古い形式である。

堂内正面には、南北朝期に運慶派の仏師により作られた薬師如来像が安置されている。右の仏像は、観音菩薩像である。

選仏場の右には、在家修行者のための座禅道場である居士林がある。もと牛込にあった柳生流の剣道場を、昭和3年に柳生徹心居士より寄進され移築した。

仏殿の後ろには法堂跡、唐門、百観音、方丈がある。唐門は天保10年(1839)再建の向唐門で、桁行きは約3.3mである。彫刻が見事で、唐破風の懸魚には菊の花と葉、大瓶束の両側には亀に波、その上には雲形が彫られている。台輪と虹梁の間には鳥と松が見られ、奥には龍がある。

門の内側から扉を見ると龍・雲・波濤の彫り物も見事である。

龍に翼があるのも興味深い。

唐門の奥に方丈が構えているが、その手前に、市の天然記念物に指定されているビャクシンの古木がある。