半坪ビオトープの日記


島田市役所西南に大井神社がある。島田の氏神として崇敬篤く、古くは「三代実録」に、貞観7年(865)に同社への神階授与の記録があることから、それ以前には創建されていたとみられている。
延喜式内社ではないが、国史に記録のある国史見在社である。これが一般に参詣する拝殿であり、大正8年造営の総檜造りである。

慶長4年(1604)以前の所在地は、上流から漂着したなどの伝承もあって定かではないが、大井川の氾濫によってたびたび場所を移らざるを得なかったと考えられている。
つまり、はじめは大井川上流の谷畑大沢(川根本町)に祀られていたが、建治2年(1276)に島田に移ったと伝承されている。
島田でも何回か移転し、島田宿が東海道五十三次の要衝として宿場の固まった、元禄2年(1689)に現在地に鎮座している。

拝殿の左手前にある「双竜の手水」は、境内地下より汲み上げられた水である。大井神社が古い水神信仰にはじまることによる。

大井神社には数多くの境内社があり、これは拝殿左にある大井天満宮である。京都北野天満宮より分霊を奉斎している。祭神はもちろん菅原道真で学問の神だが、農耕の神としても信仰されている。

こちらの境内社は、静霊神社であり、島田市出身の1900余柱の英霊を祀っているという。