半坪ビオトープの日記


元の境内(下島の御仮屋)を「お旅所」として3年に一度、神様が神輿に乗って里帰りをするという大祭りが、元禄8年(1695)より催行され、現在、日本三奇祭といわれる「帶祭」の発祥となっている。
帯祭りの名は、島田宿に嫁いできた女性が安産祈願で大井神社に参詣した後、宿場内に帯を披露していたものが、いつしかお嫁さんの代わりに大奴が金襴緞子の丸帯を太刀に掛けて練り歩くようになったことに由来するという。
25人の大奴、大名行列、御神輿、鹿島踊りの順で行列が続く。
左に見えるのは、島田鹿島踊を先導する三番叟像である。これに続き、お鏡、鼓、ササラ、囃方などが華麗な装束をつけて舞いながら供奉する。
どちらの祭りも県の無形文化財に指定されている。

拝殿の手前にあるこの境内社は、祓戸神社という。祭神として、祓戸(はらえど)四柱の神を祀る。この下に御神水の湧く井戸があった。

境内には頌徳3年(1713)、御神輿が渡御(とぎょ)するために造営された石の太鼓橋(神橋)がある。清水が満たされた御神池にはほかにも朱塗りの橋がかかっている。

左下にある社号標は、大井神社が元禄2年に現在地に鎮座したときの社号標である。

この頃ちょうど菊花展が催されていた。