半坪ビオトープの日記


不動堂の右には新しい観音堂が建っている。

神亀3年聖武天皇の勅願により行基菩薩が自ら彫ったと伝わる、聖観音菩薩像を安置している。
台座には、本尊・厨子が天和2年(1682)田中城主・土屋政直により再興されたと記されている。またの名を躬立(きゅうりつ)観音とも号する聖観音菩薩像は秘仏であり、33年に一度、開扉法要でのみ開帳される。

境内の左隅に、小さな黒犬神社がある。遠州春野町、春埜山(はるなさん)から遣わされた神の犬(オオカミ犬)「クロ」を祀っているが、この黒犬にまつわる物語が残っている。あらすじは次のようなものだ。
寛政から文化年間(1789~1803)の頃、鬼岩寺にクロという黒犬が飼われていた。「東海道の黒犬」といわれるほど強く、それを聞いた土佐の殿様が土佐犬と戦わせたいといった。和尚はクロを裏山に逃がしたが、数日後に戻ってきてしまい土佐犬と戦うことになった。クロが吠えると裏山から沢山の犬の鳴き声が呼応したので土佐犬は尾を下げてあとずさりした。殿様は負けを認めて江戸へ旅立った。
ますます有名になったクロを見かけた田中城の殿様本多候が、自分の飼っているシロと戦わせたところクロが勝ってしまった。殿様は怒って切りかかったのでクロは裏山に逃げた。家来に追われたクロは取り囲まれると井戸に自ら飛び込んだ。すると井戸の中から黒煙が湧きだし何万もの黒犬が現れて吠えだした。クロの潔い自刃に感じた殿様は自分の負けを認め、自らのわがままを悔い改めたという。後に村人達はクロの霊を祀り神社を建てたそうだ。クロは狼の血を引くとか、殿様が神社を建てたとか、供養塔を建てたとか、いくつかのバリエーションがある。

黒犬神社は、今でも「死しても負けずの神」、武運長久大願成就の守護神として信仰を集めている。