半坪ビオトープの日記


鬼岩寺には多くの伝説とそれにまつわる物がある。左の岩は鬼かき岩という。弘法大師が鬼を閉じ込めて成敗したという伝承では、その鬼(魔魅)がこの岩で爪を研いでは里人を襲い悩ませていたという。爪痕は7本あるが、この爪痕を3回撫でてお祈りすると願いが叶うという。ある学者の説では玉を研いだ石だというそうだ。
右の岩は腰掛岩という。神亀3年正月の開山の日に行基菩薩がこの岩に腰掛けて七堂伽藍建立の構想を練った霊石だそうだ。試しに座ってみたが残念ながら良い智慧は授からなかった。

左の阿字塔に書かれている字は、梵字で「あ」と読み、真言宗の本尊である大日如来を表している。
右の仏像は、馬頭観世音菩薩である。三十三にも化身したという観音菩薩の一つの姿である。観音としては珍しく忿怒の姿をとるが、民間信仰では動物、とりわけ馬の守護仏、供養塔として祀られることが多い。

境内の正面に建つ不動堂は、天台宗三井寺開山の円珍(814~892)が刻んだという「池旱(いけほす)不動」を祀っている。この不動明王は左目で天を、右目で地を見つめる天台系の不動明王像である。池旱不動の名の由来も、平安末期の長安年間(1163~64)に村の大池に住み着いていた大蛇を、住職の静照が円珍作の不動明王の法力で退散させ、低湿地を田畑に変えていった故事にちなむ。

その不動明王は、承安3年(1173)鬼岩寺境内に建てられた不動堂に安置されたという。名僧として広く知られた静照には、後に帰依した頼朝が礼服を仕立て直した袈裟を賜ったという。この静照は鬼岩寺の中興開山とされている。

不動堂の入口にかけられている鰐口には、慶長16年(1611)若松惣右衛門作の銘がある。