半坪ビオトープの日記


川根の智満寺は、今から1000年前の平安時代に草創され、千手観音菩薩像を本尊とし、山号を千葉山といい、寺号を智満寺と称した。
一説には、島田市の智満寺の末寺として、奥大井の天台教学の拠点として開かれたとの口伝がある。その後、延徳3年(1491)に駿河国・洞慶院より回夫慶文禅師を迎え、曹洞宗に改宗開山された。河根法窟といわれ、回夫派の派頭寺院として、江戸時代末期までは門葉100ケ寺に及ぶ禅宗の修行道場であった。ここが入口である。

智満寺は、町の中心地の山裾に5000坪の境内を有し、樹木に囲まれた静寂な環境の中に七堂伽藍を備えている。
山門の手前にも右に白山堂、千佛堂と山頭火句碑があり、左には六地蔵、稲荷堂、太子堂がある。これは白山堂である。

こちらは千佛堂である。本尊は江戸時代初期の作といわれる厄除延命地蔵菩薩である。

これは太子堂である。

江戸時代中期に造られた山門は、禅宗様式の四脚門で、間口2間、奥行き3間半の木造である。元は茅葺きだったが、今は銅版葺きに葺き替えられている。