半坪ビオトープの日記

2011-01-01から1年間の記事一覧

県庁北のもみじ山公園には福島城址と板倉神社がある。福島城は、治承4年(1180)頃には信夫庄司佐藤基治の家臣杉妻行長の居城であり、杉妻城と呼ばれていた。大仏城という異称は、伊達氏支配時代に杉目大仏を祀っていたことに由来する。豊臣秀吉により奥羽…

福島県庁南にある御倉邸は、旧日本銀行福島支店長役宅として、昭和2年に建てられた瓦葺き平屋の純和風建築である。 福島の市街地には古い建物が少なく、平成12年に市が取得し整備して一般に開放している。 建物には応接室、洋室、和室など10室ほどあり…

信夫山の東端の中腹に岩谷観音がある。創建年代は明らかではないが、平安時代末期、周辺の信夫郡一体を支配した佐藤庄司基治の叔父と伝える伊賀良目七郎高重は、ここ五十辺に館を構えていた。その子孫である尾形四郎憲春(宥海法印)が、応永23年(1416)…

福島市のシンボル的存在である信夫山は、市街地北部にある標高275mの山で、西の羽山(湯殿山)、中の羽黒山(谷山)、東の熊野山(金華山)の信夫三山の総称であり、青葉山、御山の別名もある。古代から山岳信仰で栄え、羽黒神社には日本一の大わらじが奉納…

吾妻小富士からの下り道から浄土平湿原の彼方に東吾妻山が見渡せる。秋の山草はほとんど枯れて、ヤマハハコの白い花だけが盛りを過ぎて咲き残っていた。いくつかの木々が赤く色づき初めていた。 浄土平湿原も散策してみたが、枯れ野原となっている。振り返る…

磐梯吾妻スカイラインは、高湯温泉から土湯峠に至る山岳道路であり、吾妻連峰を縦断する29kmの道のりは、日本の道100選にも選ばれている。作家の井上靖が「吾妻八景」を選んでいる。「白樺の峰」の次の「つばくろ谷」は、はるか80m下に見下ろす切り立…

奥州三高湯の一つ、高湯温泉の開湯は慶長12年で、400年の歴史を誇る。江戸時代から「一切のなりものを禁ず」という申し合わせを守り通して歓楽的な開発をせずに、秘湯・湯治場として山間の温泉宿を受け継いできた。 高湯温泉は全国で8番目に、東北で初…

中野不動尊は、800年以上前に恵明道人が不動明王を祀ったのが始まりという。大阪富田林の瀧谷不動尊、成田不動とともに、日本三大不動尊の一つというが、数え方には異説が多い。 境内には厄除・眼守・三ヶ月の三不動明王が祀られ、日本に置ける六三除けの祈…

飯坂町鎮守八幡神社は創建が古く、祭神は誉田別命、息長足姫命、玉依姫命である。社伝によれば、天喜4年(1056)後三年の役で奥州に出陣した源義家が、この地で長くたなびく八条の雲を見て必勝祈願のため八幡神社を勧請したという。 その後の養和年間(1181…

飯坂温泉街にある旧堀切邸は、江戸時代から続く豪農・豪商の旧家で、福島市が観光スポットとして整備し、近年、無料開放された。 堀切家は、天正6年(1578)に梅山太郎左衛門が若狭から移り住んだのが始まりという。現在の主屋は、明治14年再建の近代和風…

飯坂温泉の北西、摺上川岸にある穴原温泉(天王寺温泉)に近い、臨済宗香積山天王寺は、日本四天王寺の一つといわれる古刹で、第31代用明天皇の開基と伝えられる。用命2年(587)厩戸皇子(聖徳太子)が物部守屋を討った後、仏の道を修める道場の一つとし…

杉並木の参道の突き当たりに薬師堂がある。薬師如来を祀り、鯖野の薬師と呼ばれ親しまれている。薬師如来は別名を大医王仏とも呼ばれ、医王寺の名の由来ともなっている。 薬師堂の左奥、大きな奉讃碑の左に乙和の椿と呼ばれる古木がある。義経の忠臣佐藤継信…

飯坂温泉の少し手前に真言宗豊山派の瑠璃光山医王寺がある。石柱には医王密寺と彫られている。山門の右手には貴船神社がある。 医王寺は、天長3年(826)空海作の薬師如来像を祀り、草堂を建てたことに始まると伝えられる。平安時代末に信夫郡を支配した佐…

阿武隈川の崖に向かって赤い虚空蔵堂が立っている。寺蹟「虚空蔵堂記」によると弘仁2年(811)の創建というが、これは元禄16年に死んだ元道和尚の書き残したものを更に「山の記録」としたものによるので、不確かとされる。下って上杉景勝の時代、西根堰の…

福島駅の南4kmほどの所に臨済宗の満願寺(黒岩虚空蔵尊)がある。 山門は宝暦2年(1752)建立である。 山門の向かいには本堂らしきものがあるが、案内図によると客殿となっている。 客殿の前には旧大蔵寺門前の古碑がある。先ほど参観した小倉寺大蔵寺が往…

昨年の秋に開店したばかりだが、予約をしないと入れないという、南福島に近い人気のイタリア料理店、オステリア・デッレ・ジョイエ(Osteria delle Gioie)に予約をしてから寄った。 案の定、12時前でも予約なしで断られて帰る人がいた。カウンター席を入…

大蔵寺の境内には足尾社があり、大わらじが木の幹にかけられている。会津を含めこの地方には大わらじを新しく作り奉納する正月行事が残されている。これは「鬼やらい」の意味と五穀豊穣を祈願したものである。大きな足をもつ鬼よりさらに大きな足をもつもの…

福島駅の南東、阿武隈川を渡った小倉寺山の中腹に臨済宗宝城山大蔵寺がある。 小倉寺千手観音と石碑に書かれてあるように、小倉寺観音と呼ばれ、信達三十三観音第一番礼所となっている。 駐車場には「放射能の値が上がっております。ご注意ください」の古び…

10月初旬に福島に出かけた。福島駅から数km東に文知摺観音がある。文知摺とは、平安時代頃から狩衣などに使われた織物である。草木の紫や藍色で絹に、綾形石の石紋に似せた乱れ模様を付けたもので、信夫郡の文知摺絹はとりわけ有名であった。文知摺の乱…

小さな株に大きめの赤い実をたくさん下げているこの木は、ツツジ科のペルネティア・ムクロナタ(Pernettya mucronata) という。属名は、18世紀にフォークランドと南アメリカへ航海したペルネティの名にちなむ。 チリのマゼラン海峡付近の原産で、よく分枝…

カンパニュラによく似たこの花は、ツリガネニンジン属のイワシャジン(Adenophora takedae) という。岩沙参の沙参とは、このツリガネニンジン属の漢名、沙参属を指す。中部地方南部の岩石地に自生する多年草で、花期は9〜10月である。 変種のホウオウシャ…

ジャノメ姿のハルシャギク(Coreopsis tinctoria) によく似たこの花は、イトバハルシャギク(C. verticillata) の園芸品種で、サルサという。普通のハルシャギクより一回り小さい。 北アメリカ原産の多年草で、花期は5〜12月とかなり長く、園芸品種も多い…

一般にプルンバーゴといえば、青や白のルリマツリを指すが、この赤い花は、同じイソマツ科プルンバゴ属のインディカ(P. indica) という。和名は、アカマツリという。 アジア南部や東インドに分布する非耐寒性の半つる性常緑小低木で、高さは1mほどになる。…

ここで10月に見かけた花をいくつか取り上げて見よう。 モモイロハナビの名で出回っているこの花は、ヴァーノニア属のグラブラ(Vernonia glabra) という。ヴァーノニアという属名は、北アメリカで植物採集をしたイギリス人の植物学者ヴァーノンの名にちな…

庄内藩主酒井氏の居城跡が鶴岡公園となっている。鎌倉時代に武藤氏が築城し、当時は大宝寺城と称した。その後、最上氏、酒井氏と代が替わり、11代まで200余年間、酒井氏の本拠となっていた。明治維新の際官軍に抗戦したため城郭は壊され、今では堀の一…

鶴岡市街地の真中に致道博物館がある。ここは、鶴ケ岡城(現在の鶴岡公園)の三の丸にあたり、庄内藩の御用屋敷となっていた所である。 庄内藩は、徳川四天王の一人酒井忠次を祖とし、三代忠勝が元和8年(1622)信州松代から14万石で移封となってから、明…

いくつも社殿や境内社がある気比神社の境内の東のはずれに、さらに気比台の池(御池)に通じる石段の参道が見える。 参道の入口の右手前には、日本武尊を祀った境内社がある。 うっそうと樹木が茂る暗い社叢の中を進むと、左手にまたもや境内社がいくつか見…

羽越本線三瀬(さんぜ)駅の北にあり、西に日本海を望む丘陵上にある気比(きび)神社は、霊亀2年(716)に越前敦賀の気比神宮の分霊を勧進したと伝えられ、古くは気比宮と称していた。縄文時代、弥生時代の遺物が境内からも出土するなど、昔からこの辺りの…

田川八幡の1kmほど北西に水上八幡神社がある。古来から宇幣山龍頭ヶ池の畔に鎮座していた水上宮の水分(みまくり)神と、寛治年間(1087~94)に源義家が勧進した石清水八幡宮とを合祀したのが始まりと伝えられる。安貞年間(1227~29)に現在地に遷座し、乾…

湯田川温泉の西にある田川八幡神社は、古くは大山川上流に川下の地主神としてあったものを霊亀元年(715)に遷座し、さらに源義家が寛治元年(1087)に現在地に遷座したと伝えられる。 歴代の支配者に崇敬され、平安末期は田川郡を領した、田川氏の祈願所と…