半坪ビオトープの日記

2011-01-01から1年間の記事一覧

現鶴岡市高坂生まれの藤沢周平は、湯田川村立湯田川中学校の教員を経て小説家になったため、湯田川温泉に縁が深い。10年ほど前には、藤沢周平原作、山田洋次監督による映画「たそがれ清兵衛」のロケが由豆佐売神社で行われ、エキストラで湯田川温泉の人た…

湯田川温泉の源泉の正面、路地の奥に由豆佐売(ゆずさめ)神社がある。 白雉元年(650)に名をあらわす古社で、延喜5年(905)の延喜式神名帳にも鳥海山、月山とともに名を連ねる式内社でもある。 三代実録(901)の仁和元年(886)の條に、飽海郡の大物忌…

鶴岡市街地に戻り、湯田川温泉に向かうとすぐに遠賀(おが)神社の鳥居に至る。創建年代は不詳だが、延喜式神名帳にみえる田川郡三社のうちの遠賀神社といわれる。 由緒によれば、天長2年(825) 別当寺として本地観音菩薩を祀る井岡寺が創建され、当社は岡…

本堂の左に位牌堂がある。位牌堂とは、三十三回忌や五十回忌を終えてお寺に納める先祖の位牌を永代に祀る持仏堂のことと思っていたが、ここでは家の仏壇とは別にお寺にも位牌を祀って、先祖の忌日毎にあるいは一斉に読経をあげてもらうようだ。ほとんど同じ…

出羽三山の麓、東北一の大鳥居の近くに、曹洞宗の国見山玉川寺(ぎょくせんじ)がある。建長3年(1251)に、大本山永平寺開祖である道元の高弟、朝鮮半島の高麗で生まれ中国の径山寺で修行した、了燃法明禅師により開山されたと伝えられている。その後、享…

出羽三山の麓にある門前町の手向(とうげ)には宿坊が建ち並ぶ。町並の左手に羽黒山正善院黄金堂がある。 創建については記録はないが、神亀5年(728)に聖武天皇が勅願所として建立したという伝承が伝わっている。 その後、建久4年(1193)源頼朝が奥州征…

弥陀ヶ原にある御田原神社は、月山中之宮とされる。御田原小屋を月山御田原参籠所として宿泊・昼食等を供しているが、ここを利用して月山神社に向かう参拝者も多いという。月山(1984m)山頂に鎮座する月山神社は延喜式の名神大社で、東北唯一の官幣大社で…

羽黒山から月山高原ラインを通り、約18km先にある月山の八合目に向かう。 月山八合目から北西方向の遥か下には鶴岡市のある庄内平野が見えるが、鳥海山は雲がかかって上が見えない。こちらの南方向の月山には雲がかかり始めていた。 ここから数分の海抜140…

通称、出羽三山神社と呼ばれる、羽黒山の中心である三神合祭殿は、祭神として、月山神社が月読命、出羽神社が伊氐波神・稲倉魂命、湯殿山神社が大己貴命・少彦名命・大山祇命を祀る。 現在の社殿は、文政元年(1818)庄内藩主酒井忠器の再建による。高さ約2…

羽黒山頂には出羽三山歴史博物館があり、修験道法具、開山の蜂子皇子尊像、鏡池出土の古鏡、芭蕉筆の天宥追悼句や多くの仏像などが展示されている。 天宥社は、羽黒山中興の祖といわれる天宥法印を祀った神社で、現在の社殿は平成4年に再建されたものである…

祓川神橋から右前方に須賀の滝が見える。橋のたもとには下居社、滝の手前の左には岩戸分神社、右には祓川神社がある。 須賀滝神社の前の参道を進むと、やがて左側の杉木立の中に爺スギが見える。爺スギは、樹齢約1000年、根回り10.5m、樹高42mで、国の天然…

湯殿山の際に触れたように、月山・羽黒山・湯殿山は出羽三山と称し、その中心をなす羽黒山(414m)に、月山神社と出羽(いでは)神社を合わせた、出羽三山神社(でわさんやまじんじゃ、三神合祭殿)が置かれている。表参道の一の鳥居の近くにある、いでは文…

明治16年、月円禅山和尚の代に、漁業関係者により発願され、明治26年に日本唯一の「魚鱗一切の供養」の五重塔が建立された。総檜造りの五重塔の高さは38.4mあり、龍神伝説を伝える彫刻が施されている。致道博物館にある擬洋風建築である旧西田川郡役所…

上ノ山、東山と並び奥州三楽郷の一つとされ、古くから栄えてきた湯野浜温泉の手前に、龍沢山善宝寺がある。 愛知県豊川の妙厳寺、小田原の最乗寺とともに曹洞宗三祈祷所の一つとして知られる。参道の右に建つのは親子地蔵尊という。 天暦9年(955)頃、今昔…

田麦俣から鶴岡市内へ戻る途中真言宗智山派の湯殿山注連寺がある。注連寺は湯殿山表口別当寺で、出羽三山の参道口にあたり、寺の先には「女人結界」があったため、女人禁制の湯殿山に詣でたい女性のための遥拝所として栄えた。 天長10年(833)に空海がこ…

ひと月ほど前になるが、8月半ば過ぎに鶴岡から出羽三山を巡った。 新潟から左に見えていた日本海を離れ、広々とした庄内平野に入ると、ようやく目当ての山々が見えてくるのだが、残念ながら天気が思わしくなくて、出羽三山(月山1984m)には幾重にも雲がか…

秋の代表的な花、リンドウの花がよく出回っている。リンドウの根は昔から漢方薬(胃薬)として使われていて、苦いため「竜の胆のようだ」とのことで竜胆(リンドウ)と名付けられたといわれる。 古来より紫色は高貴な色とされてきたため、敬老の日に贈る縁起…

ヤマノイモ(山芋)に姿が似た花が、近くの家の窓辺に這い上がって満開に咲いていた。ヤマノイモ属のオニドコロ(Dioscorea tokoro) の雌花である。日本全土の山野に多く生えるつる性の多年草で、花期は7〜8月。雌雄異株で、雄花序は直立し、雌花序は下垂…

湯沢高原行きのロープウェイ乗り場より少し手前に、湯沢町歴史民俗資料館「雪国館」がある。 小説「雪国」を著した川端康成の生涯や初版本などの展示や、駒子のモデルとなった芸子の松栄に関する資料などのほか、雪国の生活を紹介するコーナーなどがある。 …

三俣宿にある伊米神社は古くからの山岳信仰の山、苗場山の里宮である。 奥の院は苗場山山頂にあり、苗場山の山開きもこの里宮で行われる。 祭神は九柱だが、御神体は二柱の神で、農耕と山の神を意味し、俗に十二様と呼ばれ、祭日も7月12日と定められてい…

翌日の午前中、日帰り観光バスに乗って、奥清津発電所、旧脇本陣、伊米神社を巡った。 三俣と苗場の間にある清津川沿いの奥清津発電所は、日本第2位の揚水式水力発電所である。上のカッサ調整池と二居ダムとの落差470mで発電し終わった水を、余力電力で…

アルプの里には高山植物のロックガーデンのほか、ジップラインアドベンチャー、サマーボブスレー、ミニパターゴルフ、マウンテンゴーカートなどの遊戯施設もある。 高山植物では、幻のヒマラヤの青いケシや日本高山植物の女王コマクサなどが目玉だが、どちら…

この前の連休で越後湯沢に行った。天気がよかったので、166人乗りの大型ロープウェイに乗ってアルプの里に上る。ロープウェイからは眼下に越後湯沢の町が見下ろせる。川端康成が「雪国」を書いた宿、高半は湯沢駅から北に2kmほどの所にあり、ロープウェ…

最後に訪れたのは船の博物館、みちのく北方漁船博物館である。北日本で古くから使用されていた「ムダマハギ型漁船」67隻を中心に約130隻の漁船類を収蔵する日本最大の漁船博物館である。 ほかにもロシア、タイ、ベトナム、韓国などの外国船も展示されて…

三内丸山遺跡では、多数の建物跡のほか、土器、石器、土偶、木器、骨角器、装身具、黒曜石、栽培植物なども出土して縄文文化のイメージを大きく変えることになった。縄文時遊館には、映像で紹介する縄文シアター、土偶などの資料や縄文人の生活を再現した展…

これは掘立柱建物跡。地面に柱穴を掘り、柱を立てて屋根を支えたものと考えられ、推定で高床式の建物が復元されている。 集落の中央、南盛り土西側などから密集して見つかった。縄文中期中頃(約4500年前)の倉庫あるいは住居と推定されている。 長さ10m以…

この日は朝から天気が悪く、予定していた八甲田山をあきらめて早めに青森市内に戻った。 近年注目を浴びている三内丸山遺跡は、今から約5500〜4000年前の縄文時代の集落跡で、長期にわたって定住生活が営まれていた。大型竪穴住居跡、大人・子供の墓、掘立柱…

文明年間(1469~87)に南部光政が「田村袋の観音」として再建し、元亀2年(1571)千徳大和守政が社殿を改築した。慶長2年(1597)浅石城落城とともに廃社となり荒廃したが、寛永4年(1627)袋村住民が産土神として再興し、袋の観音堂と称せられた。明治4…

落合温泉のある袋集落の西はずれに白山姫神社がある。延暦年間(728~806)に、征夷大将軍・坂上田村麿が蝦夷を鎮めたとき、当地に滞陣し、勢至観音の御影を袋に入れて大木の枝にかけ、戦勝を祈願したところ、たちどころに御加護があらわれて強敵を西方に敗走…

黒石温泉郷には、津軽系こけしの発祥地の温湯・落合・板留温泉があり、落合温泉には津軽こけし館と伝承工芸館、津軽三味線じょんから劇場がある。津軽こけし館には、純金こけしと純銀こけしのほか、東北各地の伝統こけしが4000点も展示されている。 つい最近…