半坪ビオトープの日記


落合温泉のある袋集落の西はずれに白山姫神社がある。延暦年間(728~806)に、征夷大将軍坂上田村麿が蝦夷を鎮めたとき、当地に滞陣し、勢至観音の御影を袋に入れて大木の枝にかけ、戦勝を祈願したところ、たちどころに御加護があらわれて強敵を西方に敗走させることができた。田村麿は御神恩に感謝し、大木の前に御堂を建立して観音菩薩を祀り、国家太平、万民豊楽を祈らせたと伝えられている。
朱の一の両部鳥居のすぐ奥に石の二の鳥居が建っている。

二の鳥居の左には「袋のイチョウ」の木がある。推定樹齢400〜500年、高さ27.7m、根回り7.6mもある大木で、黒石市の天然記念物に指定されている。大栄年間(1521~)台風で神木と社殿が倒れたとき、別当職の工藤門之介が植えたという。

三の鳥居と四の鳥居の間に、狛犬ではなく珍しく馬の神使が向き合っている。

白山姫神社は午年生まれの一代様、あるいは袋の観音様とも呼ばれ親しまれている。一代様とは、生まれ年の干支によって決められた自分一代を守ってくれる守り本尊のことをいい、厄払いなど折に触れて一代様にお参りする。ここは午年生まれの一代様のため、神使が馬となっているようだ。
津軽一代様は、目屋の清水観音の「子」、百沢の虚空蔵様の「丑寅」、最勝院の文殊様の「卯」などに干支が割り振られている。
弘前の最勝院には今回寄ったけれども、東北随一の五重塔に気を取られて、津軽一代様の文殊菩薩や神使があるかどうかには気づかなかった。

参道は整備されているが急な坂道で、延々と続いていた。そういえば入口に杖が何本も置かれていたが、この坂道では年寄りには杖が必要だろう。この鳥居は五の鳥居である。

白山姫神社は津軽三十三観音の第27番札所であり、参道には三十三観音石像が祀られている。昭和43年に明治維新百年を記念して、崇敬者より寄進されたという。五の鳥居と六の鳥居の間にある石像でもまだ九番だった。