半坪ビオトープの日記


この日は朝から天気が悪く、予定していた八甲田山をあきらめて早めに青森市内に戻った。
近年注目を浴びている三内丸山遺跡は、今から約5500〜4000年前の縄文時代の集落跡で、長期にわたって定住生活が営まれていた。大型竪穴住居跡、大人・子供の墓、掘立柱建物跡、道路跡など集落全体の様子がわかるものが数多く出土している。

広大な遺跡を見学するには、まず入口にある縄文時遊館にて概要をつかむことから始まる。シンボルの巨大な土器が出迎える。

ちょうどボランティアガイドが出発するところだったので、お願いすることにした。時遊トンネルをくぐって遺跡に向かうとすぐに大きな原っぱに出る。ここは道路跡の遺跡で、集落の中心から幅12mの道路が海や南北に伸びている。幅12mとはかなり広い感じがする。日本最初の土木工事の施工例といわれる。

こちらは発掘した竪穴式住居跡に柱や屋根を復元したもの。いくつも復元されているが、公開から15年以上経ち、朽ちてきたものもあった。

地面を掘り込んで床を造っている。炉の位置や構造は時代により変化があるという。

北盛土、南盛土には、残土や灰、土器・石器などの生活廃棄物が捨てられていて、積もり積もって小山のようになっている。中から土器・石器のほかに土偶やヒスイ、まつりに関する遺物などが大量に出土している。その断面も見学できるようにしている。