半坪ビオトープの日記


これは掘立柱建物跡。地面に柱穴を掘り、柱を立てて屋根を支えたものと考えられ、推定で高床式の建物が復元されている。

集落の中央、南盛り土西側などから密集して見つかった。縄文中期中頃(約4500年前)の倉庫あるいは住居と推定されている。

長さ10m以上の長大な建物は、大型縦穴住居跡という。これは縄文時代中期のもので、長さは32m、幅は10mある。

集落の中央付近で見つかるものが多く、用途は、集会所、共同作業所、冬期間の共同家屋などの説がある。

こちらは大型掘立柱建物跡という。柱穴は直径約2m、深さ約2m、間隔が4.2m、中に直径約1mのクリの木柱が入っていた。地下水が豊富なため、腐らないで残っていた。

6本柱で長方形の大型高床建物と考えられ、大林組の古代建造物復元チームの推定で復元されているという。用途は判明していないが、見張り台、灯台、集会所、首長の館、祈祷所など諸説紛々としている。大林組の復元チームは、古代の出雲大社の復元などにも永年挑戦しているという。柱穴の分析から建物を推定していく作業は、考古学の積み重ねられた知識と建築の専門家の技術がものをいう、夢のある取り組みといえよう。