半坪ビオトープの日記

志波城、政庁跡


政庁は150m四方の築地塀で囲まれ、内側には儀式を行う多くの建物が整然と並んでいた。
政庁南門を潜って目隠塀の左奥を見ると、彼方に政庁西門が建っている。

外郭と政庁の規模は、鎮守府胆沢城を上回り、国府多賀城に匹敵する大きなもので、陸奥国最北端の行政府として、志波城の役割が重要であったことを示している。目隠塀の右奥を見ると、彼方に政庁東門が建っている。

政庁の東西門は、発掘調査により造営当初の棟門(1間門)から四脚門に立て替えられていることが解明され、四脚門の遺構で復元された。

どちらの門も、桁行1間(3.9m)、梁間2間(3.3m)、棟高6m、杮葺きの屋根で復元されている。門の両脇に続く政庁築地塀は、外郭築地塀より一回り小さいが、より格式高く復元されている。

政庁の中心には政庁正殿跡がある。官衙建物のガイダンス施設に展示されていた復元資料を見ると、桁行5間、梁間2間の高床式建物で、白壁も施されていたと推定されている。

政庁正殿の奥には、政庁北門跡がある。北門も建て替えの跡があり、南門と同じく八脚門になっていた。北門の北には北大路があり、その先は雫石川に通ずる小河川となっていて、物資運搬等の運河として使われていたと推定されている。

正殿の周りには、東脇殿、西脇殿など合計14棟の掘立柱建物が配置されていたことが確認されている。

それほど多くの建物が復元されているわけではないが、あらためて正殿跡から政庁南門方面を眺めてみると、平安時代初期の延暦22年(803)に、坂上田村麻呂によって造られた陸奥国最北の志波城の規模の大きさが実感される。