半坪ビオトープの日記

志波城古代公園


8月中旬に、秋田駒ヶ岳八甲田山岩木山をトレッキングするため、岩手・秋田・青森県を巡った。まず、秋田駒ヶ岳の麓、田沢湖高原を目指し、盛岡駅から田沢湖へ向かった。
途中、盛岡市郊外にある志波城古代公園に立ち寄った。

志波城古代公園は、今から約1200年前の平安時代初期、延暦22年(803)に、坂上田村麻呂によって造られた古代陸奥国最北、最大級の古代城柵、志波城を発掘調査結果により復元整備した歴史公園である。公園の入口、南門に通じる南大路の左側に案内所があり、発掘品や発掘の様子の資料などを展示している。

城柵とは、奈良時代から平安時代にかけて、当時エミシと呼ばれていた東北地方の人々を大和朝廷が統治するために設置した行政府である。だが陸奥国最北の志波城も、造営後約10年で、雫石川の水害を理由にその役割を徳丹城に移した。公園入口の南大路の右側には、築地塀に囲まれた志波城の政庁や官衙建物群の見取り図のレリーフや解説版が設置されている。

志波城跡の外郭は、840m四方の築地塀と、928m四方の土塁を伴う大溝(堀)により二重に区画されている。外郭築地塀は、基底幅が2.4m、屋根までの高さが4.5mあり、南大路から大溝に架かる木橋を渡ると、東西に長く連なる築地塀の中央に、壮大な5間1戸門である外郭南門が建っている。復元された古代の門としては、奈良の平城宮跡朱雀門に次ぐ大規模な門で、二層の櫓門である。このような兵士の見張り所である櫓が、築地塀をまたいで約60m間隔で造られている。

外郭南門を潜ると、幅18 mの南大路が続く。230m先の突き当たりの城内中央に、築地塀で囲まれた政庁の南門が見える。

政庁の周囲には役人が働く官衙建物群があり、外郭沿いには兵舎と考えられる多数の竪穴住居が発見されている。築地塀の内側には水田が広がっているが、南大路のすぐ左側には田んぼアートが見頃である。いろいろな色の古代米の稲で、水田に文字や絵を描いている。

政庁の正門にあたる政庁南門は、桁行3間、梁間2間の掘立柱単層八脚門で、組物を用いるなど外郭南門に比べてより風雅な姿で復元されている。

政庁南門の手前右手には、長方形の広場を囲むように多くの官衙建物群があった。その南東官衙の中心として、南廂をもつ東西棟の大型掘立柱建物が復元されている。桁行6間、梁間2間で、内部は政庁・官衙地区のガイダンス施設として公開されているが、入口の総合案内所に一声かけないと開館しない。