半坪ビオトープの日記

駒形大塚古墳、なす風土記の丘


三和神社の手前、御霊神社の南東に、駒形大塚古墳がある。この古墳は、関東地方最古の古墳の一つであり、4世紀に造られた全長64mの前方後方墳である。

前方部の墳丘は失われているが、その先端が八の字型に前開きする古式な形である。画文帯四獣(龍虎)鏡や鉄剣、鉄斧などの副葬品が出土している。

御霊神社の2kmほど北に栃木県立なす風土記の丘資料館がある。那珂川町小川にあるので、以前は小川館とも呼ばれていた。玄関脇には、ピンク色の古代ハスと、白満々という白いハスが植えられている。

那珂川と箒川が合流するこの地域では、縄文時代中期(約4000年前)には多くのムラがつくられ、古墳時代には駒形大塚古墳をはじめとする前方後方墳が狭い範囲に次々と造られ、また那須国造碑や那須官衙が置かれるなど古くから特色ある文化が育まれてきた。この興味深い土器は、縄文時代中期の人面把手付土器である。

資料館のすぐ北に、那須官衙遺跡がある。堀によって区画された、東辺180m・西辺173m・南辺286m・北辺310mの不整方形で、約50棟の建物跡が確認されている。多くは倉庫風の掘立柱建物だが、基壇をもつ礎石建物も数棟みられる。

箒川を北に渡って大田原市に入りさらに北上すると、笠石神社の手前に大田原市なす風土記の丘湯津上資料館がある。国宝に指定されている那須国造碑の建立と発見をテーマに展示が行われている。

那須国造碑のレプリカがあるほか、縄文時代中期の湯坂遺跡から出土した縄文土器も展示されている。

湯津上資料館入口近くの国道沿いに、下侍塚古墳がある。5世紀前半の前方後方墳で、全長84mのうち後方部の幅48m・高さ9.4m、前方部の幅36m・高さ5mと後方部が著しく大きく高い。