半坪ビオトープの日記

大湯環状列石


鹿角から十和田湖に向かう途中、大湯川左岸に大湯環状列石がある。国の特別遺跡に指定され、一帯は遺跡公園として整備されて、出土品の展示室などを備えたストーンサークル館も建てられている。

遺跡は昭和6年(1931)耕地整理の際に発見されたもので、縄文時代後期前葉〜中葉(今から約4000年前)につくられたものである。県道66号を挟んで両側、約90mを隔てた西に直径46m、日本最大のストーンサークル万座遺跡があり、東に直径42mの野中堂遺跡がある。二つの中心を結んだ線を東(左)に延ばせば、冬至の日の出の方向となり、西に延ばせば夏至の日の入りの方向になる。大きい方の西(右)の万座遺跡には、掘立柱建物がいくつか復元されている。

ストーンサークル館では環状列石遺構の見取り図や日時計状組石、方形配石遺構、5本柱建物跡などの資料がいろいろと展示されていて興味深い。

これら遺構とともに多量の土器、石器、土製品、石製品が出土している。多種類の土器の中には、赤色顔料を塗り日常使用するものと区別したものがある。土・石製品には、土偶、鐸形・キノコ形・動物形土製品、石刀、足形石製品などがあり、環状列石を囲んで行われた葬送儀式や自然に対する畏敬の念を表す「祈りとマツリ」に使用されたとされる。
とりわけ注目されたのは、数字の表示のある土版である。人の体を簡潔に表現している。刺突によって口・目・乳房・正中線・耳を表現しながら、1〜6までの数を表している。縄文人が数を意識したことを示していて興味深い。

土器は、一般的には「十腰内式土器」と呼ばれるが、花弁状の紋様や、S字を横に連続して施文したものなどは「大湯式土器」とも呼ばれる。ここに見られる、口縁に中空の突起が付く深鉢形土器や、内面に紋様を描いた浅鉢形土器、土器の内側底部に動物形土製品を貼付けた動物形土製品貼付土器は、出土量が少なく貴重である。

遺跡は、川原石を円形、楕円形、菱形に組み合わせた複数の配石遺構が二重の環状に並べられたもので、万座は150基以上、野中堂は50基以上の配石遺構からなっている。大きい方の万座環状列石には掘立柱建物が復元されて建てられていて、間近から全体の様子を眺められるように見物台も設けられている。

これまでの発掘調査で、環状列石そのものはそうした組石墓の集合体とされ、これを中心に掘立柱建物、貯蔵穴・土坑、遺物廃棄域が同心円状に広がっていることが分かり、集団墓であるとともに葬送儀礼などの祭祀施設であったと考えられている。

左の彼方には5本柱建物跡がわかるように柱が立てられている。

野中堂環状列石にも、万座と同じく日時計状組石が中心から見て北西側の外帯と内帯の間に位置している。

環状列石に使われている川原石は、遺跡から約7km離れた安久谷川の川原から運ばれた石英閃緑ひん岩であるという。間近に見られるとはいえ、張られたロープから中に入ることは禁止されている。